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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《21》=無頼の守護神 草刈武さん=日本人殺害事件を機に

ニッケイ新聞 2009年9月24日付け

 ベレンから車で1時間半ほどの一見のどかな田舎道にある農場だが、入り口には要塞のように何重にも警報機がついている。
 何度も呼び鈴を押した末、ようやく草刈武さん(74、山形県出身)が出てきた。日本でも〃アマゾン・キッド〃として紹介されたことがある。そのたたずまいは、正義感あふれる波瀾万丈な生涯を感じさせる。
 人格形成に大きな影響を与える幼少期を、北朝鮮で過ごした。「ロスケが日本人の女を無理やり連れて行こうとしたのを見て、おじさんが抵抗したらピストルで殺された。北鮮でロスケにさんざん酷い目に遭わされた。まだ10歳の頃だったが、ピストルでぶっ殺してやりたいと思ったよ」。
 さらに「朝鮮人が日本刀持ってやってきて、20代の日本人青年を連れて行って試し切り。帰ってこなかった。そんなのばっかり見てたから図太くなった」という。
 小学校5年の時、北朝鮮から引き揚げて、そのまま福島県の常磐炭坑で働いた。「日本に持って帰ったのはシラミだけ」と自嘲する。
 55年に、19歳で家族と共に渡伯、フォード財団のベルテーラに入ったが3カ月で追い出され、モンテ・アレグレに転住し、ジュータ栽培をはじめた。
 「ジュータは力仕事さ。山開き、伐採とかの肉体労働で身体を鍛えた」という。身長は168センチで、現在の体重は70キロだが、かつては100キロを誇った。数度の手術を経てだいぶ体重が落ちている。
 それでも、70歳半ばとは思えない筋肉粒々とした腕だ。相撲でもパラー州選手権でも3回優勝するなど力自慢だった。現役当時、何回か試合で戦った聖南西文化体育連盟相撲部長の大滝多喜夫さん(70、福岡)は「彼は捨て身の相撲で本当に怖かった。ケンカ相撲だな」と回想する。
 現在、近郊のサンタイザベル市で養鶏業を営んでいるが、75年から10年間ぐらいベレン市内で町一番のボワッチ「TWIST」(ツイスト)も経営した。テーブルが150もあり、ショーが行われ、「いつも満杯だった」という。
 当時、真っ赤な高級外車の三菱エクリプスを乗り回していた。ベレンでは他に誰も乗っている者がいない、草刈さんのトレードマークだった。
 80年代を中心にこの地域では、日系人を狙った強盗が頻発し、殺害される事件まで起きた。
 「日系人は抵抗しないから特に狙われる。みんなでへウニオンして対策を、という話になり、俺が先頭に立った」
 知り合いに頼んで日本から防弾チョッキを買ってきてもらい、屈強なブラジル人青年を雇って、警察と手を組んで防犯活動に力を入れた。
 自らの身の危険を顧みず、徹底的に追いつめた。250人もの容疑者を警察に引き渡した。トメアスーまで遠征して悪さをする一団もいたという。「88年頃が一番酷かったな」と振り返る。
 ブラジルで犯罪者に対抗するのは命がけだ。相手は最初から非合法な手段を使ってくるし、いったん刑務所に入れても、脱走して仕返しに来たりするからだ。だから、入り口の防犯設備は半端じゃない。
 開拓の現場では、きれい事ではすまないことが、どうしても起きる。 そんな陽の光があたりづらい活躍を顕彰する表彰状が、居間の壁には幾つも掛けられている。華々しい勲章などとは無縁の人生かもしれないが、その恩恵をこうむった人は、突き出された容疑者の数倍いることは間違いない。「無冠の帝王」というよりは、「無頼の守護神」という方がふさわしい人物といえそうだ。(続く、深沢正雪記者)

写真=今も筋骨隆々とした草刈武さん

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