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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《2》=第1回マタピー移民=真田美鈴・広美姉妹=父・忠平さん(92)も健在=今も守る3本の矢の教え

ニッケイ新聞 2009年10月28日付け

 パラー州から分割され、アマパーが連邦直轄区になるのは1943年。その後、50年代にマカパーから西北約200キロのセーラ・ド・ナヴィウでマンガン鉱が発見され、開発が進んだ。
 採掘を目的に設立された「ICOMI」社は、マカパーに隣接するサンタナに港を建設。58年には鉱物を輸送する鉄道線を敷いた。
 これに伴い、直轄政府は労働者に供給する農産物生産を目的とした日本移民の導入を図る。
 53年、ファゼンジーニャに5家族、マカパー北120キロのマタピーに24家族が入植した。
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 「夜中にファリーニャ作ったり、自転車に野菜乗せて売り歩いたり。そりゃあ苦労しましたよ」
 長野県上田市から、マタピーに移住した真田美鈴(63、当時7)、広美(61、同5)姉妹は、そう声を合わせる。
 満州で警察官として働いていた父忠平さんは引き揚げ後、「狭い日本を出よう。どうせ外国に行くなら、日本人のいないところにー」と、母いつ子さん、1歳だった勝弘さんを含めた一家5人であふりか丸に乗った。
 ベレンでアラグアリ号に乗り換え、船で3日。「マカパーに到着したのは、独立記念日の前日、9月6日でした」(美鈴さん)、「学生たちが制服を着ていたのを覚えています」(広美さん)
 すでに移住地には、移住者を迎え入れる茅葺きの掘建て小屋が建てられていた。
 「ロッテ割りのくじ引きしたのは24日。移住地の一番奥までは入り口から5キロあったけど、私たちの家族は3軒目」「小学校もあって、運動会ができるほど子供がいた。ハンカチ落としや宝探しをやりましたよ」と当時を懐かしがる。
 日本語は帰伯二世の女性が教えていたという。だが、二人には移住地の子供たちと遊んだ思い出はない。学校に行きながらも両親を手伝い、労働に明け暮れたからだ。
 天秤棒で石油缶を担ぎ、水を運ぶ。夜は石油ランプに火を灯した。移住地に電気が通じたのは「5、6年前のこと」だという。
 「何が一番辛かったって2週間に一度あるファリーニャ作り」と美鈴さんは話す。
 夜中の2時に起きて、1週間水に漬けて発酵させたマンジョーカの皮をむき、ペネイラ(ふるい)でおろしたものを絞り、釜で煎る。夜を徹しての手作業だった。
 「でも両親はそれを寝ずにやっていたんですからね」。家事を〃担当〃していた広美さんが引き取る。
 「食べるものには困らなかった。味噌や醤油も作った。ワラビもよく採れたし、もやしなんかも作りました。漬物はもう何でも漬けた」と笑う。
 野菜の収穫時期、美鈴さんは弟の勝弘さんを連れて、近くのポルト・グランデの町で行商に歩いた。
 「自転車の荷台に野菜を積んで、一軒一軒の戸を叩いて。日本人の兄弟が売って歩くんだから、町じゃ有名でしたよ」
 進学する年齢になると、兄弟3人でマタピーに家を借りた。それでも休暇には移住地に戻り、家業を手伝った。
 忠平さんはICOMIに野菜を卸す仕事を始め、カンポベルデ移住地に移る。いつ子さんが農場を一人で守った。
 マタピーには、翌年の第2陣も含め、計40家族が入植したが、60年代終わりには、3家族しか残っていなかった。
 「お前たちに残してやれる財産は大学に行かせてやること」と教育熱心な忠平さんは、日本への進学を勧めた。70年に美鈴さんは、長野経済短大に3年間留学。「父は毎月300ドルを送ってくれました」
 広美さんはベレンの大学に進学、信州大学に1年留学、現在マカパーで弁護士として働き、勝弘さんは、州立学校の校長を勤めた。
 「マタピーでの開拓生活の夜、川の字になって寝ながら、父は色んな話をしてくれた。『(毛利元就の)三本の矢の教え』とかね。だから兄弟3人仲がいいですよ」
 母いつ子さんは今年、89歳で亡くなったが、サンタナ市で2人と同居する忠平さんは92歳で健在。勝弘さんも近くに住む。
 忠平さんは戦争時代を回顧した著作がある。2人は、移住地の話を書くよう勧めたというが、忠平さんは『本当のことをかけば誰かが傷つく』といって、筆を取ることはなかったという。
 現在、マタピーに住む日本人はいないが、真田家は100町歩で営農を続け、勝弘さんが2週間に一度通う。
 「(あの土地は)手放しませんよ。家族で苦労して開拓したんですから」と美鈴さんはきっぱりと話した。        (堀江剛史記者)

写真=「兄弟3人、仲良く助け合ってます」と笑顔で話す真田美鈴(左)と広美さん

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