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心からの感謝を=弓場農場 小原明子

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け

 ここに一枚の写真がある。ワシントンのワシントン記念塔をバックにして西村先生と私の2人が写っている。
 1997年9月西村農工学校主催第2回北米研修旅行が企画されたが、北米各地で農業実習中の生徒を訪ねたら、ニューヨーク、ワシントン、ナイアガラの滝、ヨセミテ国立公園、サンフランシスコ、ロサンゼルス等の観光を兼ねた36人のツアー旅行に、西村先生からのお誘いがあり、参加させていただいたが、写真はその時の物だ。
 その時西村先生はすでに87歳になられていたが、お年には見えない。参加した誰よりもお元気に、旅行を続けていらっしゃった。
 先生は旅行がお好きで、よくお出かけになっていらっしゃったが、バレエ公演旅行で出かけても、それ以外に旅行する事のない私を気づかって「小原先生はお魚料理はお好きですか、牡蠣の美味しい時期になりました。食べに行きましょう」とフロリアノポリスへ誘って下さったり、「たまに日常から離れノンビリしていらっしゃい」と5日間イースター島で過ごす企画を立て呼んで下さった事もあった。この時は先生は御一緒なさらなかったが、「希望の家」の市川幸子先生、ボツカツ大学教授中川先生の御家族と御一緒した。
 西村先生にお目にかかったのは、何時頃だったのだろう。弓場農場に入って間もない頃だったと思う。弓場さんと西村先生は、同じ力行会出身という事だけではなく、思想的に相通じるものがあったのだろう。農場の大食堂で、時のたつのも忘れたように、いつ迄も話し込んでいらしたのを覚えている。弓場さん亡きあと、いつも弓場農場の行く末を心に掛けて下さり、温かく見守って下さっていた。
 ユババレエ団として公演活動を始めて間もない1967年にポンペイアでバレエ公演が催されているが、その時訪ねたジャクトの工場は倉庫の様な建物が一つあるだけだった。
 その時、誰が今のようなジャクトに発展する事を予想しただろうか。1年に2、3度学校に先生をお訪ねしていたが、行く度に新しく発展していっている様子に驚かされていた。
 西村先生には「ハイこれ迄、これで完成、これで終了」という事が無かったようだ。これをやってしまったら次にはこれをやろうと絶えず考えていらしたようだ。
 先生をお訪ねする時はお弁当を持って行き、先生にも召し上がっていただいていたが、先生はそれを楽しみに待っていらっしゃった。お弁当を食べたら楽しくおしゃべりをして帰ってくるのだが、先生にお目にかかるだけで「さあ、もうひと頑張りしなければ」と勇気が沸き上ってくるのが感じられた。
 私は先生から沢山の貴重なものをいただきました。
 西村先生本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げ、御冥福をお祈りいたします。

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