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継承日本語教育を残せ!=(上)=寄稿=日本語学校という宝箱=ピラール・ド・スル日本語学校教師=渡辺久洋

ニッケイ新聞 2010年5月15日付け

 「継承日本語の時代は終わり」とか「これからの日本語教育は外国語教育」などの悲観的な声が年々強くなってきています。継承日本語教育は衰退の一途をたどり、近い将来消滅する。これはもはや確定事項だという雰囲気が漂っています。
 はたしてそうでしょうか?
 確かに日本人会が長年運営してきた「日系子弟・児童対象の日本語学校」はさまざまな理由により一昔前にくらべ生徒が激減しており、学校を閉鎖するところも後を絶ちません。
 現在も厳しい状況に置かれ、これから数年で終焉を迎える日本語学校も少なくないでしょう。コロニアの日本語教育が衰退してきているのは反論の余地のない事実です。
 でも日本人会が運営母体である日本語学校全てがそうなのでしょうか? 日本語学校は他の言語と同じように語学学校に変わるのでしょうか。
 二十年、三十年前と比べれば、ほぼ全ての日本語学校で生徒数や生徒の日本語力は下がっていると言えます。では十年、五年前と比べるとどうでしょうか。
 衰退している学校も多いでしょうが、その沈む流れが底を打ち、維持、または上昇に向かっているところもあります。日本人会・父母・教師などのがんばり次第で、日本語学校を盛り立てることができ、がんばり続けている学校が地方を中心にまだ存在するのです。そこでは依然として継承日本語教育が行われています。
 その地域の日本語教育関係者以外の方には見えにくく、聖市など都市部にいる方には地方の実態はわからないかもしれません。ですが継承日本語教育を頑張っている学校がいくつもあり、盛り上げていこうと元気に頑張っている教師や父母・日本人会があるということを多くの人に知ってほしいと思います。
 各地の日本語教育の状況はあまり伝えられておらず、現状維持よりも「衰退」という変化の方がメディアの注目を浴びやすい傾向があります。しかし、日本語教師の立場として言わせてもらえば、それは違います。
 外国語教育(語学学校)としての日本語教育は今後も発展していくでしょうし、それが時代の流れであることは明らかです。この二つの形態の日本語教育は目的も対象学習者も異なっており、どちらも非常に意義のあるものです。
 二者択一で選択し他方を消滅させてしまうべきものではありません。ブラジルの日本語教育は「継承日本語教育」「外国語教育(語学学校)」という目的やスタイルの異なる二つが共存、並行して発展していくべきだと思います。
 「継承日本語教育」を続けなければいけないと思います。そのためには私達教師だけではあまりにも力がたりません。教師だけの想い・頑張りだけでは限界があると痛感しています。
 今は以前のようにはいかない状況になっています。教師だけでも授業はできます。学校は存在しえます。ただ、教師だけでなく生徒の父母や日本人会などの理解、協力がなければいい活動はできないし、生徒にいい教育を受けさせることはできません。それが日本人会運営の日本語学校であれば、教師任せにするのではなく、会として団結してその体制をとってほしいと思います。
 日本語学校は教師と生徒のものではありません。その地の日本人会と会員全てのものであり、将来に大きな可能性を秘めた宝箱のようなものです。運営母体である日本人会は自分の日本語学校をどのようにしたいのか、そしてそのために何をするべきなのか。宝箱の中にある宝物をこれからどう磨いていくのか。今、それをしっかりと考える時期に来ているのではないでしょうか。
 『勉強』は教師と生徒だけで行えます。しかし『教育』は教師と生徒の間だけで行われるものではありません。親、祖父母、日本人会、地域など生徒や学校を取り囲む全ての人達によってされているのであり、されるべきでものです。
 そして、その取り囲んでいる人達が多いほど、また想いが強いほど教育現場に大きく跳ね返り、生徒はいい教育を受けることができ、それが結果として色んな形で自分達にも戻ってくるのではないでしょうか。
 そうすることは一人一人にとって色々な面で大変ではあります。しかし、何よりも子供達のためであり、また自分達のためでもあり、それだけの苦労を払う価値があるとても素晴らしく意義のあることだと思います。

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