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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《8》=サンタクルス=成長都市の日系人と交流=年2万%のインフレも

ニッケイ新聞 2010年10月30日付け

 4日目の午前中はサンタクルス市内で、同国の植物学者ノエル・ケンプ・メルカドの名を冠した動物園を訪れた。コンドルや、アンデス高地に生息するリャマなどブラジル在住者には珍しい動物もおり、広々とした園内には多くの家族連れ。市民の憩の場になっているようだ。
 中心部から8本の環状道路が広がり、円形に発展してきた同市。今年は植民地支配からの解放200周年、来年は同市創設450周年に当たる。
 ペルーからの転住者によって始まった同国日系社会の歴史。資料によれば同市に日本人が定住したのは1914年で、30年代には13人が居住。56年に発足した日系人会が65年中央日本人会に発展し、96年に全国9団体で「ボリビア日系協会連合会」が発足している。
 2つの日系移住地で交流したふるさと巡り一行は午後5時、最後の訪問先である同市日本人会館に到着。約70人の会員に迎えられ、親睦夕食会が催された。
 日本人会の吉家和秀会長(65、香川)は「我々日系人が母国を離れ、それぞれの国で信用を勝ち得たのは、皆さん一人ひとりが胸に秘めた努力と苦労の結果。同じ海外、南米の同胞として誇りに思う」と一行を歓迎。弁護士で日系協会連合会長を務める根間玄真さん(62、沖縄)が乾杯の音頭をとった。
 根間さんはオキナワ三次移民。入植途中にブラジル日系人からおにぎりや漬け物の差し入れを受けたことを「懐かしく覚えている」と振り返り、「皆さん本当にありがとう」と述べた。
 約1万5千人と見られているボリビアの日系人口のうち、サンタクルスに住むのは約1500人。うち170家族、700人ほどが日本人会に加入している。
 土井智さん(77、佐賀)は57年にサンフアンへ入植、13年を暮らした後、サンタクルスで日本商品の輸入業などを営んだ。
 7~80年代は、経済悪化で最大年2万パーセント以上のインフレ時代。「ズボンやリュックにお金詰めて、交換に行くとすぐごまかされて。今では笑い話ですけど」
 移住当時の同市は人口6万人ほど。「本当の田舎町で、舗装道路は中央広場の周りだけ。変れば変るもの」と土井さん。「だんだん良くなっていきましたね」
 舞台では同会の青年のエイサー太鼓や、同国の民族舞踊も披露され、歓談が続いた。最後は一同で「ふるさと」を合唱。山田副会長は「一生の思い出ができた。これからもつながりを強めていきたい」と感謝を表した。
 民生担当理事の神谷健さん(79、沖縄)はオキナワ一次移民として移住。移転の続いた初期の5年間を過ごした。その後、ペルーの考古学者天野芳太郎氏の植林所でも働き、日本の領事館事務所で長年勤めた。
 「サンタクルスは相当変りましたね」と神谷さん。66年に同会館の土地を買った時「周囲は全部ヤマ」。年長の人からは「こんな遠いところで何をする」と反対の声もあったが、「私たちが『将来性がある』と先輩をおしのけて買ったんですよ」と懐かしそうに話した。現在では町の中心地だ。
 ボリビアで56年。「移住してよかった」と話す神谷さんは現在、赤十字社で指圧や灸指導のボランティアをしている。「ボリビア社会への礼のつもりで」という。「あと2年、80までは頑張ろうと思います」と笑顔で語った。(つづく、松田正生記者)

写真=「ふるさと」を歌うサンタクルス、ブラジルの皆さん

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