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展望台コラム=亜国=残された政治的空白=――どう埋める?――

ニッケイ新聞 2010年11月19日付け

 【らぷらた報知=11日付け】「今日有って明日無きは人の命かな」と昔の人は歌った。
 その通り。ネストル・キルチネル前大統領は飽気なく死んでしまった。と言うと急死したように聞えるがエドワルド・ドゥアルデ元臨時大統領が「キルチネルは自らの命を減らしつつある」と言ったように去る2月、心臓疾患で入院、その時は軽症とあって即時退院したものの医師から活動のリズムを落すようにとの忠告を守らず精力的に政治活動を続けていたのが死を招いたのである。
 勿論、政府にとって政治的コストが高くつくような事件が続発していたこともあって、ゆっくりと休息など取っておれなかったということもあろうが彼自身の人に任せて置けない性格と権力欲がそうさせたのである。
 死んだ者にとっては「あとは野となれ山となれ」で済むだろうが残された者はそんなわけにはいかない。殊にクリスティーナ・フェルナンデス大統領とその夫であるネストル・キルチネル前大統領とは政治の運営に当って〃車の両輪〃の如き関係にあったから大統領選挙を来年の10月に控えて山積みする難問をどう処理して行くだろうかという問題が残る。
 キルチネルは自分の妻であるクリスティーナを大統領の椅子に座らせたものの彼女の政治的手腕を信用していなかったのか、どうか知らないが「重要問題は彼女の所に持って行かないで俺の所へ持って来るように」と閣僚たちに言いつけ彼女は装飾的な役割で済む公式行事の方に廻し重要用件は総てキルチネルが処理していたことは人も知る所である。
 つまりクリスティーナとネストルの関係は政治的にはネストルが政策立案者でクリスティーナは政策執行者だったのである。
 その政策立案者であるネストルがいなくなった今、彼女一人でやって行けるか、どうかという疑問が残されたのである。
 この事情は1974年ペロニスモの創造者フアン・ドミンゴ・ペロンが、副大統領であったイサベル・ペロン夫人を残して急死した当時を想い出させる。
 ラプラタ大学で法律を学び弁護士の資格を持ちキルチネル政権の下で国会上院議員を務めたクリスティーナ・キルチネルと、酒場の女給上りのイサベル・ペロンを同日に語ることは間違っているかも知れないが、政治的能力と言うものは芸術的才能と同じで学歴から来るものではない。
 ペロンなき後、大統領となったイサベルには彼女をエビータ亡きあとのペロンの後添いに推選したローペス・レーガが内相となってイサベル大統領を操縦した。
 だが〃ロドリガッソ〃の名で知られる有名なインフレによる失政や都市ゲリラの横行などが原因となって、ホルへ・ヴィデーラ将軍の指揮する軍部によるクーデターでイサベルは大統領の椅子から追われ軍事独裁政権の登場となる。クリスティーナ大統領の場合は軍部は有名無実の存在とあって、その心配はないもののキルチネルの死で生じた空白を誰が埋めるかという問題が生まれる。
 アニーバル・フェルナンデス官房長官やフロレンシオ・ランダッソ内相、アマード・ブゥードゥ経済相やフーリオ・デ・ヴィード企画相、エクトル ティメルマン外相、カルロス サニーニ法律技術顧問などがいるが彼等がキルチネルに代り得る〃頭脳〃と〃権威〃、〃強制力〃があるか、どうか大いに疑問である。クリスティーナ大統領が一人になったのを利用してローペス・レーガのような人物が出て来ないとも限らない。
 逆にキルチネルという操り人形師がなくなり自由になった機会に抑えられていた独自の政治的能力を存分に発揮できるようになり、キルチネルの欠点を補うような為政を行うかも知れない。
 問題はキルチネルが採っていた〃対決姿勢〃を続けるか、憲法や体制を尊重した〃対話姿勢〃に転換するか、どうかということである。具体的にはキルチネル存命時代、敵に廻していた農牧界、企業界、法曹界、独立マスコミ界、教会、政府反対勢力との和解に向う態度を採るか、どうかということである。
 が、この文を書いている時点では夫ネストル・キルチネルの〃対決姿勢〃を継承して行きそうである。
 亡くなったキルチネル前大統領のお通夜を国会で行う提案が国会上院議長であるフーリオ・セーサル・コーボス副大統領を初めキルチネル派国会上院議員たちから出されたが、クリスティーナ大統領はこれを拒否しカーサ・ロサーダで行うことにしたのがそれである。
 キルチネル存命時代から他の〃茶坊主〃閣僚たちと違って真向から反対したり賛成したりせず、中庸の態度を採り続けていたダニエル・シオリ=ブエノス・アイレス州知事の動向も注目される。
 更にまた大統領は資格を持ったインテリ出身の者ばかりから選ばず労組出身の所謂〃労働者〃からも選んでよい時代に来ていると称して口には出さないが、自分をその大統領候補に擬しているウーゴ・モジャーノCGT(労働総同盟)書記長の存在も無視できない。キルチネル夫妻大統領は労働者階級の離反を防ぐためウーゴ・モジャーノと同盟し様々な特権を与えたが、キルチネルが死にクリスティーナが一人となったのにつけ込んで圧力行為に出る可能性もなしとしない。
 政府はネストル・キルチネルのバイタリティで持って来たことは否定できない。そのキルチネルがいなくなった今クリスティーナだけで今迄と同じような〃対決姿勢〃が採れるか、どうか?(高)

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