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第3回=アスバーゼ=ワニ、鹿、野兎、蛇食べた=驚きのサバイバル生活

ニッケイ新聞 2011年4月20日付け

 「1年しかあそこには居なかったけど、56年間のブラジル生活で一番印象に残っているわ」。故郷巡り一行の一人、ソロカバから参加した斉藤ツヤコさん(73、福岡)は感慨深げにアスパーゼ植民地を思い出す。
 水野進さんと同じ55年入植組で、当時はまだ17歳だった。以来、実に55年ぶりの〃ふるさと〃再訪だ。アスパーゼを訪れると聞いたので、今回の旅に参加した。
 「お姉さんと私は移住に大反対だったけど、親に無理やり連れてこられたの」。親戚一同も反対したが、父・下山(しもやま)久身(ひさみ)さんは「狭い日本におるより、ひもじい思いせんでいい広い国に行こう」と説得し、家族6人での渡航を強行した。
 「引受人は昔の日本人で、仕事開始の合図にラッパを吹いたのでビックリ。時間に厳しい人だった」。特に斉藤さんの記憶に残っているのは蛇だ。「恐ろしいぐらい色々な蛇がいたの。鈴が付いたカスカベルが一番多かったけど、黄色と黒の小さい蛇がいて、私たち何にも知らないから『ミミズがおる』って竹で突いていたけど、凄い猛毒持っていたんですってね」。
 大きな蛇を捕まえると、日本人のパトロンのところへ持っていった。その場でパトロンは皮を剥いて焚き火で焼いた。「それがピンピン跳ねるのが怖くってね。キャーキャー言ってたわ」と笑う。
 下山家は母が日本で養蚕をしていた経験があったので〃養蚕村〃建設に賛同したが、渡航した家族の中には養蚕をまったく知らない人が多数含まれていた。そして到着したアスパーゼには桑の木一本なかった。
 「父は7年間戦争に行っていたから、ワニとか殺して食べるのへっちゃらだった。鹿とか野ウサギ、タトゥー(アルマジロ)と毎日食べた。だってあと食べるものと言ったら、パルド川の魚ぐらいしかなかった」。〃ひもじい思いをせん〃はずのブラジルで想像もしていなかったサバイバル(生き残り)生活が待っていた。
 そんな強い父親も不死身ではなかった。「父は川の水を飲んでアメーバ赤痢にかかり、南さんがカンジャを作って持ってきてくれて助けてくれた」と南さんに感謝する。
 「災難にあって死んだ人が二人いた」。一人は大学を卒業したばかりの男性で、アスパーゼにきて2カ月目に青酸カリを飲んで自殺した。数年前に渡伯していた許嫁(いいなずけ)が他の男性とできていることを知って悲嘆した末のことだった。
 植民地総出で山を捜索して遺体を見つけた。それを目撃してしまった思春期の斉藤さんは、以来トラウマ(精神的外傷)になった。「日本じゃ死人なんて見たことなかった。だから日が暮れたらトッコ(切り株)が死人の足に見えるようになって、怖くて家を出れなくなった」と思い出す。半世紀を経た今は笑い話だが、当時は本当に怖かった。青年会のみんなとモコカの町の墓地に埋めにいった。
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 3月26日晩のモコカ市セントロでの歓迎会では、水野さんの描いた油絵や移民の開拓生活を想起させる「開拓の斧」という工芸品(50レアル)などが展示即売された。その売上などを含めた募金が、東日本大震災への義捐金として吉村団長に託された。(つづく、深沢正雪記者)

写真=左が斉藤ツヤコさん

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