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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年9月17日付け

 江戸の初期、三代の徳川将軍に仕えた天台宗の天海大僧正は、家康に可愛がられ、神名を「東照大権現」とし、寛永寺を創建と目覚しい活躍だが、庶民には「長寿の和尚さま」として親しまれた。遷化は107歳が有力ながら、150歳説が広く伝わってもいる。将軍・秀忠に長寿の秘密はと下問され「時折、ご下風(屁)あそばさるべし」の挿話は人口によく膾炙した▼織田信長を本能寺に攻めた明智光秀が天海との説もある。陸奥国会津の生誕だが、生年月日は不明。このために足利将軍家の落とし胤など—いろんな風説が入り混じり、奇説らしきものも広まった。だが、あの時代には、人生50年であり、白寿を超えても壮健は珍しい。と、こんな話をしているのは、日本では4万7千人が100歳を超えたの嬉しい話題があるからだ▼言うまでもなく、過去最高だが、驚いたのは、あの常勝の沖縄県が3位に転落しているのである。2年前までは37年も連続1位を誇り昨年は2位となり、さらに3位に下降したのだから、これは眞に痛い。沖縄は高齢者が減少したの観測もあるが、やはり沖縄独特の料理が少なくなり、食卓が肉食という欧米風になったのが大きな原因ではなかろうか?▼天下晴れての1位は島根県、次いで高知県が2位であり、これは鰹の叩きの功績が大なりと見たい。そして最低は埼玉、千葉、愛知の3県だそうながら、これも食事の影響が強い気がする。あのハワイに移民した沖縄県の人々は長生きすることで知られるが、これには伝統的な沖縄の食べ物が「秘密」の医学な調査もある。恐らく埼玉なども、安易に洋食へと走ったのが悪い結果となったと見たい。(遯)

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