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デカセギから永住意識へ=変化する在日ブラジル人の気持ち=イシ教授が埼玉県で講演=「もう〃お客さん〃ではない」

ニッケイ新聞 2011年10月5日付け

 【群馬県太田市発=池田泰久通信員】在日ブラジル人社会の動向に詳しい、武蔵大学教授アンジェロ・イシさん(三世、サンパウロ市出身、44)が先月25日、埼玉県深谷市で「外国籍住民と地域社会〜日系ブラジル人を中心として〜」をテーマに講演会を開いた。JICA地球ひろばが一般市民向けに主催したセミナーの一環(同市後援)。アンジェロさんは近年、在日ブラジル人の間に大きな意識変化がみられると指摘。「デカセギから永住覚悟の移民、地域・日本社会の一員としての行動が目立っている」と強調した。

 在日ブラジル人の意識変化を象徴付けたことに、今年3月の東日本大震災を例に挙げた。
 パニックで帰伯を急いだ人がいた一方、いち早く被災地に支援物資を持っていったブラジル人ボランティアの存在が目立ったとし、「彼らの多くが、一般の日本人と同じように、地域や日本社会の力になりたいと行動した」と振り返った。
 その上で「支援を受けるだけの存在ではなく、日本人と同じ社会の一員としての意識を持つブラジル人がいることは、もっと知られてもいい」と訴えた。
 アンジェロさんによると、永住者資格を持つ在日ブラジル人は98年末で2644人だった。現在、10万人を突破。日本の法務省が今年6月に発表したブラジル国籍(出身地)の外国人登録者数が22万1227人であることから、半数近い在日ブラジル人が永住傾向にあることも明らかにした。
 合わせて日本で発行されているポ語の無料情報誌『Alternativa(選択肢の意)』150号には、在日ブラジル人夫婦が2階建ての一戸建て住宅を前に笑顔を見せる写真が全面を飾った、と紹介。「マイホーム・ブラジル人は一時的な労働者でなくなり、移民となる」の見出しも踏まえ、在日ブラジル人の永住意識の芽生えを説明した。
 在日ブラジル人社会での文芸活動にも言及した。「俺は日本人、しかし同時にブラジル人でもある」と歌う、日系ブラジル人と日本人で編成する音楽グループ「TENSAIS MC’s(テンサイズ・エムシーズ)」の楽曲を引用し、日本を好きになったり、日本人とブラジル人の混血性を肯定的に捉えたりする楽曲が近年発表されていることも語った。
 アンジェロさんは在日約20年。「われわれは、もう日本社会でいつまでもお客さん扱いされるマイノリティー(少数派)ではない。これからはより日本社会にコミットメント(関わり合うの意)していく存在になるだろう」と主張した。
 その上で「私が日系三世であるのは事実だが、正確には『在日ブラジル人一世』。日本で骨を埋める覚悟で、お墓を買う貯金まで考えている」と話し、こうした心情の変化は、多くの在日ブラジル人の間でも見られると指摘した。

震災後帰伯者は約3千人=在日ブラジル人総数は22万人

 【群馬県太田市発=池田泰久通信員】東日本大震災が起きた今年3月の末から3カ月間に日本を出国したブラジル人は3882人で、国籍(出身地)別外国人登録者数は22万1217人であることが、日本の法務省の調べ(7月29日発表)で分かった。同登録者数は例年と変わらず中国、韓国・朝鮮に次いで3位。
 この期間の外国人減少率は、0・3〜0・9%を記録した韓国・朝鮮、ペルー、アメリカ、その他に比べて、ブラジルは1・7%と高めだった。ただ震災の影響で、数万人の在日ブラジル人が日本を離れたとの憶測があった中、意外にも実数は少なく、多くのブラジル人が今後も定住傾向にあることも明らかになった。
 武蔵大学教授アンジェロ・イシさんは、「大震災後に多くのブラジル人が日本を去ったと言われているのが、実は一番多かったのは2008年末のリーマンショックに続いた雇用危機後。日本のメディアが震災で多くの在日外国人が『Flyjin(震災後に飛行機で日本を出国した外国人を皮肉した表現)』として、日本を離れたと強調されのは間違い」と説明している。
 同調べによると、2008年末の外国人登録者数で、ブラジルは31万2582人だった。雇用環境の悪化で09年には26万7456人、10年末には23万552人と、2年間で計約8万2千人のブラジル人が日本を出国した。

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