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ブラジル文学に登場する日系人像を探る2=ゼリア・ガタイの優しい視線=『Casa do Rio Vermelho』の「ぶらじる丸」=中田みちよ=第3回

ニッケイ新聞 2012年10月9日付け

 ただひとつ引っかかることがあります。前述したように私は「ぶらじる丸」を検索したのですが、戦前には「ぶらじる丸」が存在しないのです。ですから、戦前には「ぶらじる丸」が航海するのは不可能。考えあぐねるうちにこの作品は創作であることに気づきました。日本移民というフィールドバックはありますが、あくまでも創作なのではないか。移民船のメタファー(註=暗喩、隠喩)として「ぶらじる丸」と命名したのなら、納得できます。
 「ぶらじる丸」はブラジル国のアレゴリー(註=比喩、寓意)なのだとすればすんなり収まります。すべての移民たちが大海原をわたる手段としてのった普遍的な意味での移民船、それが「ぶらじる丸」だったんだ。ここで、翻訳した久保ルシオ氏の次の言葉がはじめて意味をなしました。
 「・・・この小説(ぶらじる丸)はいわゆる日本移民を書いたものではなく、ましてやブラジルへきた日本人である移民の物語でもない。・・・この小説の世界ではたとえブラジルのある地方や都市の名がでても、あらゆる場所はすべての場所であり、あらゆる異邦地であり、あらゆる人物は名前が寺田一郎であろうとジョゼ・ダ・シルバであろうと、アレゴリーに過ぎないのである。ぶらじる丸はすべての船であり、主人公は日本人に限らないすべての移民なのである・・・」
 ルシオさんは哲学を専攻しているので、哲学的なのは当然なのですが、頭の悪い私はもう一度、《厳密な意味での存在したブラジル丸ではありませんよ。世界中に存在した移民船と移民の話に、たまたま「ぶらじる丸」というタイトルを冠しただけなんですよ》と頭の中で確認してみました。これですっきり。それなら、航海年月にこだわった私が無知だった——面目ないです。
 さて、最後の行でジョルジ・アマードは「この子らはもう、ブラジルから遠く離れて暮らせないだろう」と予言するようにいいます。
 唐突な感じがするのですが、私はジョルジ・アマードはずいぶん感覚が鋭い人だなと舌を巻きました。どこからこんな結論を導きだしたのだろう。これ以前には日本人との、日本人の子どもとの接触はないと推測されるのに。もっとも一見とっぴなこの結語に、私は我意をえて大きくうなずいていますが。
 最近になって、私は移民のホスト国とは巨大な胃袋であるという結論を持つようになりました。どんな国でもどんな人種でも受け入れる。そして噛み砕いて自分の血肉にする。XX系という出自などどっかに行ってしまうほど世代が進めば——すでにその段階でしょうが——あるのはブラジル人としてのアイデンティティーです。その中で育成されるブラジリダーデというもの。
 この船の子どもたちはまだ意識していないけれど、いずれアイデンティティーに悩む時がやってきます。これがブラジルで生を受けたもの(特に三世世代まで)の逃れられない運命です。またホスト国のブラジルはそのブラジリダーデ醸成を無意識(であろうと思う)に行っています。いずれ全員が「ブラジル人」というものになる。是非ではない。これは厳正たる事実です。
 ついでにゼリアの処女作の『おかげさまで、アナーキスト』も読みました。平易な文章で思い出風につづられたもので、日系人が登場しませんが、パラナのアナーキスト村が語られていて、農村に入ったイタリア移民の日常は、驚くほど日本人に似ているのです。いずれ翻訳してみたい本です。観察がすなおで温かく、文章も平易で衒いがなくほのぼのした気持ちになります。この点をジョルジ・アマードが高く評価していました。(第2冊目、終わり)

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