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《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第8回=元妻と再会機に体調悪化=寂しい通夜と県人会葬

ニッケイ新聞 2013年2月9日

57年9月17日付けパ紙トップ記事を飾った道子と孫の写真

57年9月17日付けパ紙トップ記事を飾った道子と孫の写真

 パ紙は1957(昭和32)年9月21日付け社説でも、戦前まで選挙権すらなかった女性で、参議にまでなったという意味で、藤原道子を戦後の「日本の変貌を生身で見せたような人だ」と持ち上げている。同参議が離伯する時、11月14日付け社説でも再び「おそらく国会議員でこれほど長期にわたって滞在し、コロニア人の出来るだけ多くと膝をつき合わせてこれと親しんだというのは他に例はあるまい」と賞賛した。
 藤原は忙しい日程をさいて、実は10月に元夫と再会していた。渡伯3年目、山崎はようやく彼にとっての仕事らしい仕事、開拓が軌道に乗り始めていた時期だった。天上人のような扱いを邦字紙から受ける元妻に対し、山崎はさぞや開拓のやりがい、意気込みを強調したのではないか。
 ところがその直後、11月頃からは山崎は体調を崩し、自宅で横になっていることが多くなった。宮尾は「ペルイビの辺で風土病にかかったんじゃないかなと思っていた」という。慣れない開拓地への単身赴任で疲れが溜まっていたところに病魔が取り付いたのか。
 山崎は翌58年1月21日にサンパウロ市のサンタクルス病院の334号室に入院した。
 坂尾は「病気になったのは藤原道子代議士が南米視察旅行で来訪した際、山崎さんと再会した直後だったので、前妻の毒気に当てられたのだ、などと世間では悪口を言っていた」と当時の世情を笑う。「でも病院にお見舞いに行った時、山崎さんは『早く元気になって、現場に帰って働かなきゃ。道子に同志として運動資金をおくってやると約束したからな』と嬉しそうに話していました」と付け加えた。
 藤原が『婦人公論』(58年、96頁)に寄せた一文の冒頭にも、次のように再会時の山崎の言葉を紹介している。「わたしもずいぶんあなたや、内地の皆さんに苦労や迷惑をかけたが、やっとこのブラジルの地で将来の見込みが立つようになった。そのうちに同志として、次の選挙の時の陣中見舞いぐらいは送れるようになるだろう」。
 つまり、山崎の方から勝手に選挙資金を送ると一方的に約束したニュアンスが強い。藤原は「気持ち」としてその言葉を受け取った。約束したつもりになって、勝手に頼りにされたような気分になって山崎は喜んだのか。藤原の訪問を受け、どこか心の緊張の糸が切れたのかもしれない。1月31日に肝臓ガンのために死去した。まだ55歳だった。
 通夜に駆けつけた宮尾は「あの頃のサンタクルス病院はまだブラジル人の手に渡っていた頃で、まるで病院として機能していないようだった。だって僕が行ったときは医者も看護婦もいなかった」と思い出す。「アインさんと僕と誰だか忘れたけどあと3、4人ぐらいの寂しいお通夜だった。あの頃は火葬場がなかったからそのまま埋めたはず」。
 57年に正式発足したばかりだった静岡県人会は、彼を悼んで手厚く県人会葬をしたと記録にある。後藤宗治元会長(55年渡伯)によれば、「彼は県人会に対して何をしてくれたわけでもなかったが、金がなかったようだし、県人会葬を出した。出来たばかりの会だから初めての県人会葬だった。今になっては墓がどこかも分からない。山崎さんの死後、アインさんはしばらくこっちに残ったが、子供もみんな連れて日本に帰った」と記憶している。(つづく、深沢正雪記者、敬称略)

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