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情熱は愛のスパイス?

 先日、非日系の友人Aがコラム子の家に来るなり「男に裏切られたわ」と吐き出すように言った。古い知り合いというその男性は、数カ月前に急接近し愛嬌を振りまいて彼女を魅了したが、実は2年以上前から付き合っていた恋人がいた▼男は好意を寄せる一方で、「僕は誰とも付き合う気がない。僕を好きにならないで」と不可解な言動を繰り返していたという。その後数週間で音信不通になり、不審に思った彼女がフェイスブックで調べた所、恋人の存在が発覚した。しかもその女性は友人に瓜二つだった。「つまり、彼女を焼かせるために私に近づいたの…」と友人は声を振り絞った▼非情な話だが、当地ではこの手の話をよく耳にする。恋人の目の前で他の異性に愛嬌を振りまく人も少なくないとか。「多くの異性を魅了できる自分は価値が高い」と自信を持ち、それを見た恋人が抱く嫉妬を「愛情の証」と喜ぶのだ▼ブラジル人と日本人は色々な意味で対照的だが、愛情面でも随分違う。例えば当地では、恋愛における「情熱」は重要な位置を占めている。嫉妬したりされたりも愛情の内で、その感情の起伏自体に「生きている実感」を抱いているようにすら見える。「平穏な関係はつまらない」と語る60過ぎの友人Bは、浮気して自分を捨てた上、子どもの養育費すら払わなかった元夫を「それでも魅力的」と言う▼日本では「愛を育む」と言うが、これは「愛情」を植物の栽培に見立てた農耕民族的な発想かもしれない。自然の中を駆け回り、獲物を捕らえてきた狩猟民族のブラジル人にとって、一時の高揚感や情熱は、恋愛に欠かせないスパイスなのかも。(阿)

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