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太平洋戦争の真実に目を向けよ=目良浩一=(5)=「日本は自衛の為に戦った」=マッカーサーも認めた事実

ダグラス・マッカーサー連合国軍総司令官

ダグラス・マッカーサー連合国軍総司令官

 「東京裁判」においては、東条英機やA級戦犯の弁護人たちは理路整然とした弁護を展開したのであるが、敗戦国からの主張は正当に取り上げられることはなかった。日本側の自衛論は採用されずに、侵略論が採用された。そして、日本は罪悪の国とされたのである。
 しかし、日本の自衛論が正当な議論であったことは、「東京裁判」自体を演出した当のマッカーサー元帥が、日本における連合軍の最高司令官の職を解任された直後の1951年5月に米国の上院の国防及び外交合同委員会で宣誓をしたうえでの証言で、自分の言葉で、「日本は自衛の為に戦った」と言明しているのである。(注2)「東京裁判」は戦勝国が、戦争に関する諸問題を片付けるために、米国の都合に合わせて行った、単なる儀式であったのである。
 しかしながら、この「東京裁判」と占領軍の占領政策によって、日本国は最悪の国家体制へと変わってしまった。不公正な仕打ちにも拘らず、「東京裁判」で堂々と日本側の行動を弁護した清瀬一郎弁護士の演説の帰伯も、占領軍による出版・広報の検閲などによる言論統制によって抑圧され、米国製の歴史が教えられ、戦前・戦中の国体に関する図書は葬られ、それに代わって米国の文化が植えつけられた。マッカーサー元帥を最高司令官とする連合軍の日本に対する占領政策は、歴史上前例を見ない精神文化面での大改革案であった。戦前の価値観がすべて覆ったのである。
 日本が主権を取り戻すことになるサンフランシスコ平和条約には、「東京裁判」の結果を受諾することが条件として組み込まれ、日本には完全な自由は与えられなかった。しかも、押し付けられた憲法で交戦権を奪われ、日本の安全保障条約で米国の軍事力の下に置かれるようになり、現在に至っている。いかように考えても主権国家とは言いがたい状況である。
 このような環境の中で、日本人は自省的になった。東京裁判的な日本罪悪論を受け入れ、諸外国に対して名目を立てるために巨大な開発途上国援助を行い、諸外国からの許しを、じっと黙って待つという態度で、自虐的な考えが支配的になった。
 日本の人たちは、自分の考えもまともに発言することもできず、他国から注意されるとまずは自国に問題の原因があると考える傾向になり、反発することには、極めて慎重である。戦後の日本の政治家の多くが、国外に対して自己主張が出来ない軟弱政治家である原因は、この自虐史観によるものである。
 日本の政治家でも戦争を体験した世代の政治家には、意地もあれば明確な意思もあった。しかし、戦後の教育の下に育った現在の75歳以下の政治家には自虐史観に毒された軟弱政治家が多い。現在の民主党の指導者がこの部類に属する。日本の国益を省みず、実現不能の空想的な理想社会の追及や、自分自身の地位の延命だけを気にしたり、党の団結を第一目標に狂騒している姿からは、日本国の将来像を描き、その実現を真剣に追及しているとは思えない。
 戦後のGHQによって改革された教育がいかに徹底して、日本人から国家意識を剥奪し、個人主義を助長してきたかを示す好材料である。彼らに不足しているのは、史実に基づいた日本の歴史教育である。歴史教育の欠落のために、政治家は、信念を築く土台を持っていないのである。

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