ホーム | 文芸 | 読者寄稿 | 大切なもの=小野寺郁子

大切なもの=小野寺郁子

 バスに乗ると、前の方に赤ちゃんを抱いた人の隣りに一つ空席があったので、そこに座った。
 若い母親に抱かれた赤ちゃんは、お誕生少し前ぐらいに見える女の子で、可愛い目をクリクリさせながら、あちら、こちらを眺めていたが、しばらくすると飽きたのかぐずり始めた。
 母親は色々とあやしていたが、なかなかぐずり止まないので困って、手提の中を探って、なんとイデンチダーデ(身分証明書)のカルトン(カード)を取り出すと、赤ちゃんに手渡した。
 赤ちゃんは珍しいものを手にしたので機嫌を直して、ひっくり返してみたり、くわえたりして、しばらく遊んでいた。カルトンはプラスチコで被われているので、くわえても濡れはしないのだけれど、ねじったりするので私の気にかかっていた。
 そのうちに赤ちゃんはもう飽きたのであろう。その「玩具」をあっさり手放した。床に落ちたカルトンを拾って上げようと私が身をかがめるより早く、その母親は足でそのカルトンをパンッと踏みつけた。
 それでバスが揺れてもカルトンは踏み押えられているので、前にも後ろにも滑ってゆくことはなかったのだけれど、私は釈然としなかった。第一に大切なものを赤児の手なぐさみに渡したこと、次にそれを踏みつけたこと。
 私達には出来ないことである。考えてみると、私はいつ書類を大切にするようにと、教えられたのか覚えはないのだけれど、両親がそれを大切に扱う態度から自然に書類に対する心得をわきまえたようである。足で踏みつけるなどもっての外である。
 赤ちゃんは、あの母親から何を受継ぐであろうか。そしてあの赤ちゃんが親になった時、その子に……。
 そんなことは要らぬお世話の杞憂かも知れない。でも紛失したり破損したりした時、再発給の手続きの煩雑さや、暇取ることにレクラマ(抗議)するのは、このような人達ではなかろうか。学童が喧嘩していて、学用品の入った鞄で叩き合いをしているのを見たことがある。
 物を大切にするのは日本人が自然に受継いでいる特質であろう。私達の子孫は、この特質をずっと受継いでいって欲しいものと思うのである。

image_print