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自分史 戦争と移民=高良忠清=(12)

 私の上級生、下級生達も勉強よりも学校づくりに忙しかった。こうしてやっと皆が雨風に濡れず勉強が出来るようになった。

   夢

 自分の村に帰って間もなく、母がアサ早く起きると同時に、「夕べ、祖父母と叔母と二人の子供達が長田の防空壕で死んだ夢を見た」と言った。
 祖父母は自分達はもう年寄りだからこのまま自分の防空壕で死ぬと云っていたが、あたりの戦火が激しくなったので逃げていったと思う。
 それから母は、新しい朝茶をご先祖様の位牌にお供えするため、供えてあった昨日のお茶をすてようとすると、そのお茶は糊のようにすこしかたくなっていたと母は不思議に思った。
 夢とお茶は、祖父母の知らせに違いないと母は長田の防空壕に行ってお祈りをし、霊(カジウンチケ)をすぐってお墓に持って行きお祈りをした。
 その後、ご先祖様にお供えしたお茶も普通に戻ったと母は言っておりました。こんな珍しいこともあった。

   高良先生

 終戦直後は風呂場も無く、こどもたちは皆垢だらけでした。私のクラスの受け持ちの高良先生は自分の生徒達の垢だらけの黒首を見かねて、学校から二百メートルほど離れた井戸までこどもたちを連れて行き、丁寧に一人一人の垢を洗ってやった。
 戦前は一年生から三年生になるまでは、授業が始まる前にかならず、全員濡れたタオルで教員の掛け声に合わせて冷水摩擦をやっていました。私はそれが習慣になって家でもやっていたので、先生に連れて行かれなかったが、それにしても高良先生はすばらしい先生だった。

   森学校(モウガッコウ)

 照屋幸栄君の友達、高良政広、照屋信一、照屋三郎、高良幸栄、上原義雄、五人の少年達が朝早く「学校に行こう」と幸栄を呼びに来た。幸栄君のお母さんが「幸栄は野良仕事が今日あるので、お前達だけで行きなさい」といって息子を学校には行かせなかった。
 少年達は学校に行くと云いながら、実際に学校に行くのではなく、森学校(モウガッコウ)、つまり森に遊びに行くのだ。
 終戦直後は、あちこちに弾薬が沢山残されていたので、少年達は大砲の弾から火薬を抜き取りポケットに入れて遊びに行った。
 その火薬に火を点け投げると、シュッ、シュッ、シュッ、シュと飛んだ。五人は夢中になって遊んでいるうちに火のついた火薬が一人の少年のポケットに飛び込んだ。
 さあ大変、その火を消そうとしたが、なかなか消せずに悲鳴を上げて大騒ぎ、そのうちもう一人の少年のポケットにも火が移り、ますます大騒ぎとなった。
 丁度近くに水がいっぱい溜まった大きな爆弾の穴があり、皆はそこへ飛び込んだ。近くで野良仕事をしていた青年がこの騒ぎを聞いて駆けつけた。怪我をした子供達を水から上げて、なんとか病院へ運んだが、運悪く高良幸栄と照屋三郎は死んだ。

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