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どこから来たの=大門千夏=(30)

 彼らは休憩気分で寄り、お茶を飲んだり時には父のふるまうビールを飲んだり、無駄話を一時して父に何かを売りつけると帰ってゆく。文房具、台所用品、カミソリ、靴ベラ、時にはおもちゃ、裁縫用具など、こまごました役に立つような立たないような品物ばかり。
 鉛筆は木が固すぎてうまく削れない、ナイフもカミソリも数回使っただけで刃がダメになった、栓抜きも、櫛も、おもちゃもすぐに壊れたり折れたりして役に立つものはなかった。半端もの、傷物、粗悪品と分かっていても、不要であっても、父は常に何かを束にして買っていた。
 これが母のかんしゃくの種であり、夫婦げんかの種でもあった。
 「こんな粗悪品を束にして買うことないでしょう。役に立たないものを貴方はいつもいつも買って、お金を捨てていることです。やめてください。これ以上いりませんよ」母はヒステリー気味に怒った。そのたびに父は聞こえぬフリをしたり、そそくさとその場を立ち去ったりして取り合わなかった。
 母の言うように、父の買う物は「安物買いのゼニ失い」ならず「高物買いのゼニ失い」そのもので、誰も使わず、見向きもされない品ばかりだったので、私は常に母に軍配をあげた。あんなつまらないものにお金を使う父はバカだと陰口をたたいていた。
 ある時、あまりに母の剣幕がひどくて、見ている私がハラハラしていると、父は珍しく反論した。
「あの連中だって一日中歩き回って一生懸命働いているんだ。家に帰れば女房子供が待っている。金が要るんだ。子供の学校の月謝、弁当代、家賃、電気代、ガス代…金を持って帰らんと、どうやって支払うか。だから売れなかった日はここに寄るんだ。何か買ってやればそれで少しでも助かるではないか」
 そういわれてからは、さすがの母も何も言わなくなった。
 父はしょうもない物を買い続けた。いつも小さな商いをする人たちの味方だった。
 あれから六〇年。今、父の優しさを想い、今更ながらに懐かしみ、生きている時に気が付けばよかったのにと後悔し、思いやりに満ちていた父を思い出している。
 桃子の言葉を聞いてから、私も家の近くの日系の店にお客がたくさん入ってくれるのを願って、できるかぎり近所で買い物するようになった。
日系の店が繁盛すると、なぜかうれしくなる。古い移民の郷愁にちがいない。  (二〇一二年)

やくざからの縁談……父の思い出

 父が外車を買った。水色の大きな車体のワーゲン。一九六八年、私はお産のために故郷、広島に帰った時のことだった。
 「なんとなくいつも誰かにつけられている」と父はさかんに言ったが、有名人でもないのにと私たちは一笑に付した。しかしそれは本当だった。
 ある日、前を行く不審な車が突然急停車して父の車が追突し、運転していた男は痛い痛いと大げさに喚いて救急車で病院に運ばれていった。
 「外車なんか買ったからですよ。あれほど私が大反対したのに」この時とばかりに、母の猛攻撃が始まった。しかし夫婦喧嘩をしている場合ではなかった。
 「検査を全部しましたが、どこも悪いところはありません」と医者はいう。しかし本人はあそこが痛い、ここが痛いと文句を並べている。

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