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どこから来たの=大門千夏=(71)

 急に胸の奥から申し訳ない気持ちが湧き起こってきた。ごめんなさいねと夫の写真に素直に謝った。夫にだけでは物足らず、神様ごめんなさい…思わず口に出して謝った。信心のないはずの私、神は病気の夫を助けてはくれなかった。役立たずの神は要らないし、居るはずもないと断言していた私が今初めて神に語りかけた。
「ごめんなさい。夫のせいではなく私が悪かったのです。夫にタオルを投げつけたりして…悩み事が多いというのは、それだけ私に問題を解決できる能力があるから、たくさんくださったのでしょう。私の心が成長する為に、悩みや問題をわざわざ下さったのでしょう。それがわからず文句を言いました。もう二度と文句は言いません。これからはどんな悩みごとも受けます。約束します」声に出して言い頭をさげた。これほど謙虚な自分になり、素直に神と話をしたのは生まれて初めてだった。
 床に膝をつき、両手をついて泣きながら心から素直に謝り許しを請うた。涙がぽとぽと床を濡らした。
 そうだ、これだけ悩み事が多いという事は、分不相応の欲をもっているからだ。
 手放してしまおうあの土地を。店を縮小しよう。借りている大きな店も半分返してしまおう、欲を失くしたら悩みは半減するんだ、どれだけ損をしても健康のほうが大切だ。
 やっと気がついた。
 気持ちが落ち着いて、涙も収まった。
 それから立ちあがって窓の側に行った。暗い空に星がびっしりとひしめいて光り輝いている。じっと見ていると心の中にまで光が入ってくる。夜の冷たい空気が気持ちよく、心が落ち着き大きく深呼吸をした。
 その時だった。
 ふわりと異様な物が目に映った。あれなんだろう? 私の胃の辺りから出てきた灰色の煙の塊…それは丁度握りこぶしくらいの大きさで勾玉の形をしていた。…ゆっくりと上に登り、私の目の高さまで来ると急に方向を変えて左斜め前方に行き、吸い込まれるように夜の闇の中に消えて行った。
 エ? なんだろう、今の灰色の煙は。
 突然ふわりと目の前に現れてスーッと消えて行った。ほんの三秒間くらいだった。灰色の勾玉、煙の勾玉。
 その時、ゴワゴワと胃に張り付いていた皮が急にはぎとられたかのように、すっきりとなった。と言うか、今までのあの重苦しい感じは瞬時になくなり、軽く爽快な気分になった???? どういうことだろう?? 何が起こったのだろうか。
 ともかく、胃は何事もなかったように私の昔ながらの胃にかえったのだ。一瞬にして。
 それきり二度と薬を飲むのをやめてしまった。そして一ヵ月して診察に行くと医者は、「よくここまで治しましたね。みなさん一年も二年もかかるんです。あなたの場合、あの時私が言った以上にとてもひどかったのですよ。大きな潰瘍が二ヵ所あったんです。よくここまで治しましたね…ところで、どうやって治したのですか」と不思議がられた。体験を話しても信じてはもらえないだろう。
 それからというもの、神様との約束通りどんな難問題がやってきても、何が起きても、心配も、くよくよすることも、気にすることも、悩むことも、腹を立てることもしなくなった。神経が一回り大きく太くなったに違いない。
 それどころか、あれから二〇年経つが二度と胃の病気になったことはない。どうやら神さんは私に難問を与える事に「飽き」がきたのではないかしら。このごろは何にも問題が起こらない。それとも、もしかして、私は神さんに忘れられたのだろうか。ちょっと心配している。

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