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県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第3回=二世部隊の活躍と日系の地位

アリゾナ記念館、複製の錨の前で

アリゾナ記念館、複製の錨の前で

 ハワイでの2日目、予定が変更されパールハーバーへ、朝早く出発する。ハワイはアメリカ合衆国50番目の州。これは米国で最も新しい州である。
 七つの島からなり(小さな島は除く)、その総面積は約1万6634キロ平米で、東京都の約7・6倍。一番大きいのはハワイ島、ホノルルはオアフ島にある。
 州の人口は142万8557人(米国勢調査局2016年推定)。ホノルルのあるオアフ島に人口の69・8%が住む。人種構成だが(純粋)、白人系(25・4%)、フィリピン系(14・4%)、日系(13・0%)、ハワイアン系(6・2%)、中国系(4・1%)、黒人系(2・0%)、韓国系(1・6%)、サモア系(1・1%)、その他となっている(2015年アメリカン・コミュニティ調査)。
 1941年12月7日(ハワイ時間)に真珠湾攻撃が行われた際には、一部の日系指導者が収容・隔離され、また、大戦当初は日系人の戦線への投入は控えられた。だがやがて、米陸軍において日系二世が中心となる日系人部隊が編成され、ヨーロッパ戦線には第442連隊戦闘団、第100歩兵大隊や、太平洋地域では太平洋戦線(MISアメリカ陸軍情報部)に投入され輝かしい貢献を行った。
 そして戦後のハワイの政治・社会の変革や経済発展においても、日系人の活躍抜きには語れない。第2次世界大戦では、アメリカ本土の日本人移民と日系アメリカ人がアメリカ政府により強制収容されたが、ハワイでは日系人口が多く、そのすべてを収容することが事実上不可能である上、もし日系人を強制収容するとハワイの経済が立ち行かなることから、アメリカへの帰属心が弱く、しかも影響力が強いと目された一部の日系人しか強制収容の対象とならなかった。

アリゾナ記念館は海の上

アリゾナ記念館は海の上

 その辺りがアメリカ本土で収容された日系人と少しことなっている。パールハーバーにあるアリゾナ記念館は、1941年12月7日(ハワイ時間)に発生した大日本帝国海軍による真珠湾攻撃で、乗組員1177人のうち1002人が死亡し、撃沈された戦艦アリゾナ及びその乗務員を追悼するとともに、真珠湾攻撃自体を記念する施設で施設となっている。
 この施設は沈没した戦艦アリゾナの真上に建設されている。記念館が完成したのは1962年で、毎年100万以上の人々が訪れている。記念館へはボートのみで入ることができる。アリゾナ本体とは交差するような角度で上方に建設されている。
 記念館と陸上にある真珠湾攻撃の資料展示室などへの対応は、アメリカ合衆国の国立公園局によって、アリゾナ記念館ビジターセンターで行われる。入ったすぐ近くにアリゾナの錨のモニュメントがあり、公園の史料館では真珠湾攻撃に関する展示がなされている。ボートでアリゾナ記念館へ向かう前に真珠湾攻撃のビデオが流される。
 この日は天気もそう悪くなかったのだが、ボートが出てから少しすると、波が高くなりボートは湾内を戦艦ミズーリの近くまで行ってまたボート乗り場まで引き返し、念願のアリゾナには降りることができなかった。
 現在でもアリゾナからオイルが漏れだしており、海面まで上昇しているのを目視できるとのことだがこれもかなわず、パールハーバーを後にした。(つづく、伊東信比古さん寄稿)

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