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認知症になった認知症専門医=長寿社会が問いかけるもの=「生きること」と「終わらせること」=サンパウロ市在住 毛利律子

『認知症ケアの新しい風―支え合う温もりの絆を創る』(長谷川和夫著、ぱーそん書房、2014年)

『認知症ケアの新しい風―支え合う温もりの絆を創る』(長谷川和夫著、ぱーそん書房、2014年)

 日本の厚労省の発表によれば、2012年時点で国内の65歳以上の認知症患者数は462万人にのぼり、2025年には約700万人、高齢者の約5人に1人が認知症になると推計されている。
 文春オンライン(2018年4月)に、1974年に認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した認知症医療の第一人者・長谷川和夫医師(89歳)が、自らの認知症との取り組みを講演した内容が掲載されていた。
 認知症は、長生きすれば誰にでも起こり得ること。だからありのままを受け入れるしかない、とはよく耳にする言葉である。しかし、実際、自分を認知症かもしれないと判断するのはどれほど辛いことであろうか。
 長谷川先生は、その現実とどのように向き合ったのか。講演の内容から引用して紹介したい。
 先生は、自分の専門である認知症の進行具合が、次のような段階を踏んで進んでいくと常々患者に説明してきた。
 まず、
●今がいつなのかが明らかでなくなる。
●次に、今どこにいるかがはっきりしなくなる。
●最後に、目の前にいる人が誰なのか、分からなくなってしまう。
 そして先生の症状は「自分が話したことを忘れてしまうことから始まった」という。
 さらに、昨日の日付は分かっていたのに、翌日になると今日が何日か分からなくなる。自宅を出るとき鍵を閉めても、鍵を閉めたことがはっきりしないから、来た道を戻って確認しなければ気が済まない。ひどいときは、一度確認したことを何度も確かめたくなる……。
 「こうしたことから、自分が認知症ではないかと疑いはじめました」
 先生は当初、自分をアルツハイマー型認知症ではないかと考えた。
 そこで、認知症専門病院で、さまざまな検査をしてもらった。
 認知症の診断では、先生自らが開発した「長谷川スケール」(1991年改訂)を用いるが、開発者の当の本人が質問項目を全て覚えているので正しい診断ができない。そこで、難しい心理テストを受けた結果、「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断された。
 この認知症は60代から70代の患者が多いアルツハイマー型認知症とは違って、80代以降の人に起こることが多い。特徴は、正常な状態と認知症の状態とを行ったり来たりすること。午前中はしっかりしているけれど、午後になって疲れてくると、認知症の症状が出てくる。80代、90代の晩節期に起こる認知症といわれる。
 しかし、これは認知症の中ではひどい症状を引き起こすものではなく、忘れ物はたくさんするけれども、一晩寝れば治ってしまう。毎日がその繰り返しである。だから、診断を受けたときも、そんなに心配しなくて良いだろうと考えた。

『認知症ケアの心―ぬくもりの絆を創る』(長谷川和夫著、中央法規出版、2010年)

『認知症ケアの心―ぬくもりの絆を創る』(長谷川和夫著、中央法規出版、2010年)

▼認知症ケアに必要なもの

 長谷川先生は、戦後間もない1947年、東京慈恵会医科大学に入学し、そのまま精神神経科に入局した。すぐにアメリカの東海岸にあるセント・エリザベス病院という大きな精神病院に留学した。
 当時の日本では、大きな病院といってもせいぜい700床程度であったが、その病院は10倍の7000床。敷地面積はモナコ公国に匹敵するそうで、お医者さんが回診で別の病棟へ移動するのに、クルマに乗っていたのには驚かされたと語る。
 その後、東京都内の老人ホームの利用者を対象とした、健康調査をすることになったが、長谷川医師はこのとき初めて認知症患者の診断をすることになった。まだ「認知症」という言葉が一般的ではなく、「痴呆」と呼ばれていた時代であった。
 ある家では認知症患者を、「恥さらし」「役立たず」として、納屋に閉じ込め、家で面倒を見られなくなると、精神科病院や老人病院に入れられる。病棟では隔離され、手や腰を縛られて、拘束される。いまでこそ在宅介護やグループホームが一般的となったが、当時はそういう時代であった。
 こうして長谷川先生は、診断のために必要な項目を作り、結果が数値化できるようなスケールを発案し、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」として発表した。
 2000年には、認知症ケア専門職の人材育成を目的とした高齢者痴呆介護研究・研修センター(現・認知症介護研究・研修センター)が東京、宮城県仙台市、愛知県大府市に新設され、長谷川先生は東京センター長に就任。それまでは認知症患者を診療する立場だった長谷川先生が、ケア職専門の育成に関わるようになった。
 ケアースタッフを育成した先生が、今、デイケアに通うようになったということである。
 そこで、まず驚いたのは、スタッフ一人ひとりが利用者の情報をよく知っていること。スタッフ全員がみんなのことを把握している。こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。それは利用者として、大きな安心感がある。
 それに、少しでもボーッとしていると、「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかる。すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とか。
 簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心したそうである。
 長谷川先生は認知症の人と接するとき、具体的にはどのようにしたら良いのかを次のように提示している。
 先生はこれまで「パーソン・センタード・ケア」という考え方、すなわち認知症の人を中心に考えるという理念を大切にして指導してきた。
 認知症の人を中心にすると言っても、ちやほやしたり、言いなりになるのが良い、というわけではない。必要なのは「認知症の人と自分は同じだ」と考えること。同じ目線に立って話すことがとても大切だという。
  また、衛生や食事、排泄などを援助する従来のケアに加えて、「その人らしさ」を尊重することも重要。「その人らしさ」とは、明るい、几帳面、綺麗好きというような、単なる性格や性質のことではない。それは、人生での経験や、周りの人々からの影響で作り上げられたその人独自のユニークなものをいう。
 表面的には同じように見えても個人の性格を形成した背景は、人それぞれ異なるから、その背景を粘り強く推し量り、「その人らしさ」を理解して、お互いに代えがたい存在であることを認め合う。認知症ケアには、そんな姿勢が求められるという。
 そして具体的にはどうすればよいか。話すときには、こちらから何か話しかけるのではなく、相手が話し始めるのを待って、何を欲しているのか、耳を傾けるのが原則である。
 例えば、認知症の人が「今朝はとても寒いから、朝ごはんはいつものパン食じゃなくて、温かいお粥にしてもらいたいな」と思っているとしよう。
 ところが、こちらが先に違う話を始めてしまうと、それに一生懸命答えようとして、自分が言おうとしていることを忘れてしまう。認知症の人は、頭のスイッチの切り替えがスムーズにできないからである。
 だから、何か言いたいことがあるんじゃないかな、というときは「どうしたの?」「何がしたいの?」と問いかける。これで良い。
 本人の願望を注意深く聞き取り、大切にしてあげること。これが本当の「パーソン・センタード・ケア」なのだと提唱している。
 また先生は、子どもたちに認知症のことを理解してもらうための絵本作りを考えているという。海外には、すでにそうした絵本が多く出版されていて、認知症の症状が進んでいくおじいちゃんを目の当たりにした孫が、いろいろな工夫をしながら、一緒に生活していく様子を物語にしているという。長谷川先生はそれを真似して、おじいちゃんのところをおばあちゃんに変えて作ろうとしていて、今年の夏ごろまでには完成させたいということである。

杖を持った高齢者

杖を持った高齢者

▼適応薬のこと

 長らく適応薬がなかった認知症だが、1999年には製薬会社のエーザイが開発した認知症治療剤「アリセプト」が認可されている。アルツハイマー型認知症の進行を抑制する薬で、長谷川先生は、臨床治験が始まった1989年から治験統括医に任命され、治験を成功裡に導いた人物ということである。
 認知症を根治させるための薬の開発を願う患者や家族は多い。
 かつての認知症は、診断しても、医師にできることがほとんどない病気であった。それが、アリセプトの登場で、アルツハイマー型認知症の進行を遅らせることができるようになった。医師が「一緒に考えていきましょう」と声をかけられるようになったのは、大きな出来事であるが、長谷川先生はいまの新薬開発に対する懸念を次のように語っている。

▼新薬の副作用については報じない

 アルツハイマー型認知症は、本人にとっても家族にとっても辛い病気である。
 発症すると、時間、場所、人間についての記憶が、それぞれ約3年ずつかけて失われていく。そんな症状の進行を遅らせることができるアリセプトは、たいへんメリットの大きい薬であった。
 ただし、症状の原因を取り除く「原因療法」になるような薬ではない。状況を元に戻すことはできない。それで満足するしか、いまのところは仕方がない、先生は言う。
 そのために、原因療法のための新薬の開発が期待されるが、それに近い薬が発表されると、新聞で取り上げられる。しかし、こうした新薬の副作用については報じられない。これは、非常に危ないことだと思っている。アルツハイマー型認知症を発症させる犯人は、脳に蓄積されたアミロイドβ(ベータ)というタンパク質で、これを取り去るような薬ができれば、認知症を根治できるかもしれないが、副作用も必ず起こる。
 それを抑える薬が、同時に必要ということになる、という先生の見解である。
 「しかし、原因療法のための薬ばかりが求められ、副作用を抑えるための薬が蔑ろにされている。いまの日本には、そんな風潮があるような気がしてなりません。これは、いまのアルツハイマー型認知症の治療をめぐる大きな問題点だと思います。」と、長谷川先生は苦言を呈しておられる。

▼ありのままを受け入れる

 若年性アルツハイマーをテーマにした映画は数多くあるが、ハリウッド映画『アリスのままで』は2014年に公開された。主人公はニューヨークのコロンビア大学の若干50歳にして世界的言語学者として活躍するアリスである。恵まれた家族に囲まれて充実した人生を送っていた彼女に、ある日、突然若年性アルツハイマーが発症する。症状は結局改善することない。
 この映画の監督は、映画企画の時点で筋萎縮性側索硬化症(運動ニューロン病の一種)に罹患していたが、助監督や多くのスタッフの支えを得て映画を完成させたという。その難病のせいだろうか。監督は、アルツハイマーの進行具合を淡々とドキュメンタリーのように映し出していく。そして「アリス」という一個人を「アリス」のままで最後まで見守る環境を描いているのである。
 日本人の平均寿命は江戸時代では30歳ほど。そして、50年前の1947年当時の平均寿命は男性50.06歳、女性53.96歳であった。今や、日本は毎年、国別平均寿命の長寿を更新し続けている。(世界保健期機関 2017年7月31日更新)
 現代の長寿社会に生きる私たちは今、「生きること」と「終わらせること」への様々な問いに向き合うことになっている。

長谷川和夫(はせがわ かずお)

1929年2月5日愛知県生まれ。日本の医学者、精神科医。認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。2005年瑞宝中綬章受章。「長谷川式認知症スケール(HDS-R)」を作成したことで有名。

 

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