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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(0)

 【編集部】本日から小説『繁田一家の残党』の掲載を開始する。著者はカナダ在住で元ブラジル移民の丸木英朗(マルキ ヒデオ)さん。ペンネームはハナブサ・アキラ(英朗)だ。
 昭和10(1935)年元旦生まれ。昭和33(1958)年3月に大阪府立大学経済学部卒、東芝放射線(現・東芝メディカル)入社。ブラジル移住、同社代理店総支配人、アメリカ勤務を経て現在カナダ在住。
 今回は本人による「あらすじ」紹介、次号から本編となる。
     ☆
 日本で東芝放射線(現在の東芝メディカル)に勤めてたワイは大阪野郎、ブラジル移民のなれの果て、43年連れ添ったオランダ系ブラジル人の妻とカナダのトロントに住んどります。
 今から45年ぐらい前、海外勤務を申し出ても時期尚早と却下されて腐ってた頃、福岡に繁田正之氏が九州支社長として赴任して来た。単身赴任の繁田親分、社宅を出て独身寮に入りワイら寮生におやじと呼ばせた。
 毎晩午前様のご帰館には、ナイトクラブの美人数人が必ず同伴。ホステスの旦那衆はバイアグラなしでは役立たずの爺様ばっかりやから、欲求不満の彼女達と同じ年頃の寮生とは格好の取り組みとなり、社員寮かキャバレーかわからん極楽天国を展開してた。
 酒類が物置に山積み、時には酒屋が酒やビールを借りにくるほどやった。会社で経理課長が物言いをつけたら「若い奴等が飲みに出て、本社やら他の支社みたいに会社のツケにしよったら、どないなる?酒屋の払いなんか安いもんじゃ、そんなことも勘定でけん経理課長なんか辞めてまえ」と、どやしつけられよった。
 困り果てた経理課長が営業課長に泣きついて、営業の実権を握るワイに営業課長が「自分等の飲み代ぐらい工面しんしゃい」ぬかしやがった。販売主任のワイは腹心の部下に知恵を借り、業者に払う販売手数料を横流し酒屋の支払いに充当した。
 昭和41年の暮れ、ワイは親会社の社長に就任したばかりの土光敏夫氏を横浜市鶴見区の自宅に訪問し「海外進出を進言しても埒があかんので、ブラジルに移住します」と啖呵をきって、神戸から乗船した移民船・ブラジル丸が停泊する横浜港に戻ろうとしたら、石川島重工から東芝に転職される前にリオに造船所を建造された社長は「しかと承知した。俺も定年後はブラジルに移住して百姓になる」と言われたが、経団連会長になってしまい夢は果たされなかった。
 移民船の2ヶ月間の船旅中には、赤道祭など楽しい催しもあり、竜神を演じたワイは、サンパウロで東芝医用機器代理店になったばかりのメディトロニカ社の総支配人になった。
 しかし、戦時中ナチとソ連の二重スパイをしていたというオーナーのデンマーク人に騙されていたことを知り“ブラジルが駄目ならアメリカがあるさ”と再移住し、世界最強の企業ゼネラル・エレクトリックの国際商事本部長になりカウンタートレードの責任者として東欧諸国の元首や首相と丁々発止の裏ネゴに従事しバーンアウト。
 中近東では禁酒国のサウジアラビアで酔っ払い、石打の刑に処せられる寸前にアメリカ大使館付商務参事官に救出された。
 その後、アメリカ各地で転職を繰り返し、カナダに引退するまでの奇想天外なワイの私小説の前半だす。もっとおもろい後半は制限字数を越えるのでまたの機会にどうぞ。この物語には本名も登場しますが、小説ですから、あくまでフィクションであることを、あらかじめお断わりして置きます。

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