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イタリア移民のサン・ヴィート祭

グルメクラブ

5月28日(金)

  八十六回目、一九一八年から続く伝統行事だ。今年は特別な意味合いを帯びている。タマンヅアテイ川のほとりにたつ、集合住宅ビル「サン・ヴィート」の事情についてよく知る人なら話が早い。
 市立市場が川をはさんで真向かいに、ビルの後方地域に位置するのが祭りの会場だ。常に不穏な、と言っていい空気を漂わせているが、廃墟ではない。むしろ、人で溢れて満室と思われる。ガラスを多用した二十七階建て。崩れないのは不思議、などとささやかれていたところ、市役所が改修工事に乗り出していると聞いた。
 完成は一九五九年。良くも悪くもサンパウロ市のカオスを物語る「名所」であり続けた。最近の風評は「スラム以下のスラム」と散々だが、新築当時には、イタリア系移民の入居者も指折り数えた。イタリア人街ブラスを護るサン・ヴィート聖人の祭りを、最も劇的な角度で眺め下ろすことが出来るのは間違いない。期間中、始終眺めていれば、ご利益もいっそう厚くなろうし、熱心なカトリック信者は市からの強制退去命令にも首を振る。
 リフォーム後は、「パラセ」に改称される方向で話が進んでいる。売春、麻薬、犯罪の巣窟「サン・ヴィート」が街から消え去ろうとしている。聖俗は隣り合わせでこそ互いが際立つもの。聖ヴィートの心模様も複雑かもしれない。
   ――――――    祭りの本番は聖人の日に当たる六月十五日。だが、五月十五日にすでに開幕している。七月四日までの毎週土日曜日、ポリニャーノ・ア・マーレ街に郷土食主体の屋台が立ち、コンサートが開かれ、平行するフェルナンデス・シウヴァ街のカンチーナの方でも同じ料理と音楽が楽しめる。
 カンチーナは窓口で立食、あるいはテーブル席を選ぶ。立食は最低三レアルの消費が義務、土曜日のテーブル席はコースメニューの四品(前菜、パスタなど)の食券付で三十二レアル、日曜日はパスタ一品で十二レアルだ。
 モノは試しで三十二レアルの土曜日に出かけた。カンチーナのゲートをくぐると、リオのエスコーラ・デ・サンバの稽古場を彷彿とさせる空間が広がる。赤と緑、そして赤と緑。巨大な倉庫的空間内に散見する赤を頭の中で桃色に置きかえれば、「マンゲイラのクアドロ」にもみえてくる。
 入ってすぐ、ガラスケースで守られた聖ヴィート像があった。二八八年にイタリアはシチリア島で生まれ、わずか十五歳で殉教死したという。二匹の子犬を連れている聖人だ。
 窓口であらかじめ指定された席を捜していたところ、おみやげ物売り場と遭遇した。バッチ、キーホルダーのほか、イタリア風民族衣装を身にまとう、バービー人形が売られているのを見る。「リオデジャネイロ/モレーナ」バービーが存在するのは知っていたが、「イタリア娘」とは初対面となった。
 玩具だろうが、イタリア音楽の一般的イメージに結びつかない楽器のタンバリンが棚に並んでいるのも珍しい。
   ―――――
 ここでピッツィカのことが頭に浮かんだ。イタリア・プーリア州の音楽。打ち寄せる波のようなリズムを決定するのが、そのタンバリンだ。移住後、ブラス区に居を構えたイタリア移民には、その海沿いの町ポリニャーノ・ア・マーレから来た者が多かった。移民が盛んだった頃には、街の人口の五人に一人がブラジルに希望を求め祖国を後にしたという。聖ヴィートはそんなポリニャーノ人たちの守護神だ。
 プーリア州はイタリア半島の〃かかと〃の部分、ギリシャとアルバニアに向かい合う。紀元前にはギリシャの植民地であった時期が長かった。以後、東方・西方進出の要地として、ローマ、ビザンチン、ノルマン、スワヴィア王朝、フランス、スペインなどが統治。一八六〇年にイタリアが全国統一されるまで、さまざまな様式文化が混交してきた。
 タンバリンの存在とピッツィカの旋律に、かすかに異教(異教ともいっていい)が香るのは、東方起源のその歴史のせいだろう。
   ――――――    イタリア一長い海岸線を有す州だ。魚介類の宝庫。温暖な気候でトマト、オリーブは完熟、最高のパスタ製造に欠かせない硬質小麦の特産地でもある。
 初期移民はサンパウロ市で穀物商として名をはせ、穀物証券取引場も彼らによって開設。パスタには伝統的に強みがある。祭りではオレキエッテ(耳たぶ)の通名をもつ品が食べられる。地方独特の一品だ。恰幅が良いノンナ(おばあちゃん)たちが湯気立つ大釜でパスタを豪快に茹でる、そして沸騰するくらいに煮込まれた大量のトマトソース。精細さには欠けるが、陽気なお祭り気分はぐっと盛り上がる。
 見れば、ステージの上では、ド派手なスーツを着たテノール歌手ブラジルのパバロッティの脇で、モレーナと金髪の踊り子が媚態を競って踊っている。このあだっぽさと俗っぽさが、イタリア南部「移民」文化の真骨頂なのだ。
 ブラス区のイタリア系に受け継がれる伝統の味はほかにもある。やはりイタリア歌曲よりピッツィカの調べが似合う、ギィマレッラとフィカツァだ。前者は牛の肝臓を約三センチ角に切ったものを串で差し、ローリアの葉と一緒に焼いたもの。後者はジャガイモで生地を作った厚手のピザ。紀元前のギリシャ統治の「遺産」がここにも顔をのぞかせている。
 ビールを飲んでいる姿はほとんどみかけない。ワインである。売店にはヴェネト、トスカーナの銘柄も揃っていたが、プーリアはイタリアでも一、二を争うワインの産地。聖人ゆかりの土地の「宿命」を体現しているワインを選びたいところだ。
   ――――――    特にバロック期に爛熟したという宗教美術と、類稀な教会建築を誇り、「聖なる」との形容詞付きで呼ばれる地方でもある。信仰の厚さ、それは移民とても変わらない。六月十五日、祭りの本番に繰り広げられる行列は三つの巡歴に分け、それぞれに四人でサン・ヴィートの偶像をかつぐ。その「特権」を授かりたいと考える希望者は多く、福祉オークションでの寄付金額の多少で選考される。今日、その権利金は五千レアルにも達するそうだ。
 カンチーナでは、一家どころか、一族で長テーブルを陣取る光景が目立った。サン・ヴィート祭を支えるのは、信仰と血。やっぱり、日系社会の日本祭りとは一味違うなぁ。
 天に飛翔するかのように歌われるカンツォーネを聴きながら、レバーの串焼きにプーリアの赤ワイン、日本そばよろしくパスタで最後を締める。束の間、心がイタリア色に染まる至福の時を過ごした。

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