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「チェ・アメリカラチーナ=5=メキシコ」

グルメクラブ

9月10日(金)

 クレープのようなパン生地で中身の具が包み隠すされた料理を、仮に「覆面料理」と呼ぶなら、メキシコはその王国だ。トウモロコシの粉を挽いて作る薄いパンケーキ、トルティーヤを主食とするメキシコ人。中に入れる材料によってこれを巻いたり畳んだりし、多彩に臨機応変に「変身」させて楽しむ。鮮やかな調理の手法は曲芸軽業的、実にアクロバティックで、息呑むような飛び技を連発するスタイルを得意とするメキシコのルチャ・リブレ(プロレス)とどこか重なる。
 「覆面料理」の筆頭に挙げられるのは、二つ折りにして間にレタス、トマト、アボガド、チーズなどをはさんだタコスだ。トルティーヤの元になる生地を丸く伸ばして餃子のように具を詰め焼いたケサディーヤ、封筒状に折り畳んだブリトーにも支持がある。
 来伯前、ラテンアメリカとは何の縁のなかった私でも、こうしたメキシコ料理だけは人並みに食べていたことを、サンパウロ市ピニェイロス街のレストラン「El Kabong Grill」(電話11・3064・9354)で知った。メニューの多くに見覚えがあった。私は一体いつこれらの料理を食べたのだろう。
 メキシコ料理は日本ではバーや居酒屋の品書きに定着しているほか、コンビニエンス・ストアの惣菜コーナーでも見つかる。ブリトーなどはその昔、セブンイレブンに備え付けの電子レンジでよくチンしたものだ。膨らんだ柔らかな生地にかぶりつくと、舌の上に中身のチーズがとろけ出し、幸せだった。いまテーブルに並ぶそれを眺め、学生時代放課後に、買い食いしていた頃の記憶が一気によみがえった。
 このレストランで初めて食べたのは、エンチラーダ。これもトルティーヤのメタモルフォーゼ(変形)といえる。ただ、煮立てたサルサ・デ・チレ(トウガラシのソース)に一度くぐらせている点に技がある。鶏肉をゆでて細かく割いたものなどを入れ巻き、その上からみじん切りのタマネギ、おろしチーズをかけ、ほんのり辛いソースもたっぷりかかっていた。メキシコ料理の定番中の定番とされるらしい。
 こうした「覆面料理」とタッグを組むのがメキシコ風サルサ(トマト、オニオン、コリアンダ―、青トウガラシで作ったソース)だ。赤トマトの代わりに、トマティーヨ(ほおづきの仲間で緑色のトマト)を用いれば、サルサ・ヴェルデになり、ここにさらにアボガドを加えると、グァカモーレ(ワカモレ)になる。食卓という名のリングに、華を添える薬味(相棒)の存在としてはほかに、サワークリームも欠かせない。辛くて爽やか。ヒリヒリ、サッパリ。それがメキシコ料理の持ち味だ。
 メインに取ったファヒータという料理が凝っていて絶品と思った。レモンジュース、テキーラ、トウガラシ粉、クミン、ニンニクなどに漬けた牛肉を金網で焼き細切り、そしてトマト、オニオン、アボガド、煮豆、サワークリームなどをトルティーヤの中身に詰めた食べ物だ。素材の異種格闘戦、その組み合わせに不思議な妙があるが、こちらは純粋なメキシコ料理ではないと聞いた。「Tex―Mex」(テクス・メクス)といい、メキシコ料理をアメリカ・テキサス風に改良してある。その特徴はテキサスに豊富な牛肉を多用することだという。
 ここでテキサスがかつて、メキシコ領だったと習った世界史の授業を思い出した。暗記勝負の歴史勉強にヒーヒーしていた青春が私にもあった。そんな感慨にふけりつつ、メキシコの歩みについて詳しく学び直してみようと決心した。
 マヤ文明など先史時代のことを調べていて個人的に印象に残ったのは、トウモロコシの栽培がおよそ八千年前、メキシコで始まったというくだりだ。マヤ族の創生神話には、トウモロコシは神聖な植物で、神々はそのパン生地から最初の人間を作ったとある。時代は下って一五一九年、征服者エルナン・コルテス一行がアステカ帝国にたどり着いたとき、トルティーヤを用いた料理の多様さに驚き、また、フランシス・ピサロが率いるスペイン人の記録には、インカ帝国の市場ではトウモロコシの粒が貨幣代わりに使われていたとの記録も残っている。こうしたストーリー・オブ・コーンは、ブラジルのグルメ雑誌「GULA」八月号に詳しい。
 現代史では、「亡命」先としてのメキシコに魅かれた。ブラジルにでも逃げるかなどと、ある時期まで映画やドラマの中で、都合の悪いことを犯した日本人はよく言い抜けしていたものだが、それは「逃亡」先としての話。西欧のインテリが政治亡命した土地といえば、まずメキシコだった。スペインの映画監督ブニュエル、レーニンにソ連を追われた革命家トロツキー、コロンビア人でノーベル賞作家のガルシア・マルケスもそうだ。
 マルケスは傑作「百年の孤独」のプロットを、メキシコ・シティからアカプルコに向かう車中で考えついたとされる。「神父が教会建築の資金集めに、チョコレートを飲用して空中浮遊を見せる」場面とか、発想の斬新さと、デタラメさを育んだ在りし日のメキシコの空気を想像するだけでゾクゾクして鳥肌が立つ。リアリズムと超現実主義という両極端の同居するハチャメチャな文化にだ。
 トルティーヤの自由気ままな展開や、中身の具材料、ソースの摩訶不思議なコンビネーションをみれば何でもあり(ヴァーレ・トゥド)。常識を覆すシュールでアクロバティックな精神が、メキシコ料理にも貫かれているのだ。

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