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アマゾン河の食物誌=醍醐麻沙夫さんの新作

グルメクラブ

4月1日(金)

 一九七七年、作家の開高健はアマゾン流域を取材する。釣行記「オーパ!」はその翌年の作品だ。サンタレンで開高は、川エビが食べたいと言いだす。確かに漁は盛んだが、地元では塩茹でして、筵に干して出荷されるのが普通だ。案内役の醍醐さんはホテルの厨房を借り、唐揚げと中華風テンプラをつくる。ビールを飲みながら、それを平らげた開高は厳かな口調でほめた。「きょう、サンタレンのエビはその本来の輝きをもつにいたった」
 マナウス名物の魚タンバキは黒っぽくてずんぐりして堂々とし、「子ブタのような」肋骨とつよい脂、口あたりを特徴としている。炭焼きがうまい。サンタレンには川エビを工夫して提供するレストランが、マナウスにはタンバキを絶妙な焼き加減で出す店が、ない。開高は「自分では料理はつくらなかったが、食べるほうはうるさい人」で、「スープには経験がいる。焼き物には天才がいる」とよく語っていた。
 食通の作家として知られた開高らしい名言も面白かったが、一層惹かれたのは、アマゾンの「日本料理」だった。ウナギの代わりに、マバラというダボハゼを三〇センチくらいにしたような魚で再現した鰻丼。京都のハモ料理をイメージして調理したガラガラヘビの吸い物。馬でも倒すデンキウナギを刺し身にした移民の言葉が光る。「電気がつよくてびっくりして味までわからなかったなあ」――。トメアス移住地の味噌は日本の水準からいっても「かなり上位にランクされるだろう」。その味噌汁に、カリルーという間引いた小松菜くらいのちいさな葉っぱを入れると緑色がきれいでいかにもアマゾンらしくなる、など。
 サンタレンの日本人宅では、ヨロイナマズの一種で珍味とされるアカリの炭焼きをごちそうになる。お目当ては、その内臓と脳みそだ。ヴィナグレッテとアマゾン産のトウガラシを適量かけて食べる。「……旨い!」。鮎より濃厚な味の内臓。ドレッシングをかけるとあっさりし、いくらでもイケる。脳みそは、カニのみそとほぼ同じ味らしい。涼しい木陰で、ビールやカイピリーニャを飲み、「一人で三匹か四匹食べてしまう、ただし身のほうはほとんど手つかずだ」
 醍醐さんは一九七〇年くらいからアマゾンに通いはじめ、年二、三回は「入り浸っていた」。目的の半分は日本人移民の取材、残りの半分は釣りだった。アマゾンではラーゴが最高らしい。水はアンデスから運ばれた栄養分に富んだ泥水と、付近から流れてきた澄んだ水がほどよくまざる。「ラーゴはアマゾンの景観の中でも、もっとも美しく、穏やかで、豊穣だ」。早朝、スイレンの花が咲き、白い水鳥が羽を休めて、キラッと光るモルフォアチョウが飛んでいる。アロワナが朝日を受けて金色に輝きながら跳躍する――。そんな湖面に一人カノアを浮かべて釣り。かかってくる魚はその名を知らなくても、熱帯魚の水槽でおなじみの魚だった。
 ラーゴで釣りをすると、自分が食べる分に一匹、(借りた)カノアのお礼に二匹、計三匹くらいのツクナレをもち帰る。一週間ずつでも、こんな生活を繰り返すと、食べ物には「生存のための食料」「愉しみのための食物」「文化としての料理」の三段階がある、と実感するという。アマゾンを歩く場合は、「愉しみのための食物」の段階がいちばん多いそうだ。「文化としての料理」=食文化として論じられるカテゴリーのものはすくないという。
 基本的にアマゾン料理は健康食である。揚げたり炒めたりする料理があまりない上、動物性タンパク源にしても、獣はすくない。ほとんどが魚だ。かつてはカロリーの低い食べ物と言われていたが、「飽食の時代を迎えると、逆に、健康的な食べ物と評価されるようになった」のは、人間の悪しきご都合主義だが。
 日本高等拓殖学校(高拓)を卒業し、アマゾンに入植したグループの入植五十年祭に参加した醍醐さんは「おなじ高拓出身者でも、ずっとアマゾンの奥地に住んでいる人たちと、都会生活をしている人たちと体形が違う」ことに気付いた。アマゾン組は筋肉質で腹のあたりも引き締まり、全員がまったくおなじ体形をしている。都会組は太っている人、中庸の人、痩せている人などさまざま。「人間も生物の一員として、自然状態で生きているときは誰でもおなじ体形になるのではなかろうか」
 残暑にふーふー言いつつ、ボリュームたっぷりの焼肉定食を食べた後、横になりながらこの本を読んでいた私、膨れた腹をなでながら、「牛」に近づきつつある自分を嘆いた。
 あー、ツクピーの香辛料と乾燥エビの塩味がきいた、マンジョッカ芋の葛湯タカカの屋台がサンパウロにもあったらなぁ。少しはしゃっきとするのに。ちなみに、熱くてしょっぱいこの「眠気覚まし用の汁」を売る屋台が出る午後二時ごろから夕方を、あちらでは「タカカの刻(こく)」と呼んでいるそうです。
 集英社新書、二百三ページ。

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