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ブラジル料理雑記―4―ノルデステ(上)

グルメクラブ

4月26日(木)

 イチ、ニ、イチ、ニ……とつぶやきながらステップを踏む彼の表情は必死だ。逆上がりに取り組むコドモのような顔をしている。まず右に二歩、ついで左に二歩。フォホーの踊りの基本的な動きを、中年になりかけのカラダに覚えさせようとしているが、なかなかスムーズにいかない。額には大粒の汗が浮かんでいる。踊りの相手を務める十九のコムスメ先生が、彼の飲み込みの悪さにあきれてハァーと嘆息をもらした。
 「オレ、音楽と踊りはからきしダメだけど、小学生の頃な、トライアングルの名手だったんだぜ。あのリズムを刻ませたらね、右に出るやつはいなかった」
 女性とフォホーを踊る機会の増える六月祭の季節が迫った四月終わり、独身の彼は酒の席で突然そう言いだし、明くる日からダンス教室に通い始めた。今年のカーニバル前、サンバダンスの習得に挫折していた彼だが、その蹉跌の記憶はきっぱり忘れている様子だった。大太鼓、アコーディオン(サンフォーナ)、そして「名手だった」トライアングルが奏でる音楽だから、というのが自信の理由のようである。
 〈キミらにお見せしよう/バイォンをどうやって踊るか/習いたいやつはじっくりごらんを/さぁ、モレーナ、こっちへおいで/ぴったりカラダを寄せて/あとは身を任せているだけでいいさ〉と、歌った歌手がいた。バイォンはフォホーの一種で、踊る場合は機敏な動きと、こなれた身のこなしが要求される。彼は、この歌詞に出てくる男のように振る舞うことを夢想しているのだが、コムスメ先生のふかーーい溜息を聞く限りは、難しそうだ。
 レッスンが終わって彼は言った。「フォホーが盛んな北東地方出身の連中ってさ、頭のてっぺんがつぶれて、平らだよな。あのわけ、知っているか」。知らないと答えると、「重たい荷物を頭に載せて運ぶせいだぜ、きっと。かんばつ地帯だから水も運んだりしただろ。昔々からそうだから、頭を平らにする遺伝子が働いているんだよ、荷物を載せやすいように」。ひょっとしたらそうなのだろうか。そんな、まさか。
 彼は続けて語った。「つまり、だね。連中がフォホーを踊るとき、あんな変幻自在な腰の動きができるのも遺伝子のせいなのさ。結局、オレらとは身体のつくりが違うんだ」。聞きながら私は思った。彼は早晩レッスンをやめるだろう。
 数日後、その日がきた。残念でしたの記念に、北東地方の料理屋台が並ぶセントロ・デ・トラディソンエス・ノルデスチーナス(電話11・3936・5054)へ二人で行った。ステージでは大音響のライブ。くだんの「遺伝子」を持った出身者が、バイォンの脱臼的なリズムに合わせてくねくね踊っている。バイォンの語源は、民俗学のカマラ・カスクドによると、バイアーノ(バイーア州の人)とロジョン(花火)にあるらしい。褐色の男女が足を絡ませ、あっちこっちで官能の花火を爆発させている。
 「一時間のカロリー消費量はサンバで二百四十カロリー、フォホーで三百カロリー」。そんなことが書いてある雑学本を見た。踊り自体は一見、サンバの方がずっと激しそうだが、フォホーにはとても歯が立たないのだと分かった。男女の求愛的濃密パワーのエネルギーはかくも強大ということか。ならば、中年になりかけのカラダではとてもついていかないと思いきや、踊る老人たちの多いこと。若者に負けていない。タフの遺伝子も強そうである。
 「パドレ・シセロ」「カンガセイロ」といっ北東地方の代名詞的存在の名称を冠した屋台が目に付いた。だが、キリスト教への信仰も薄いうえ、荒野の盗賊になるような勇気もない私たちは、会場隅の「レカント・ダ・カルネ・ド・ソル」の一角に座った。「リオグランデドノルテ州の味です」とも書いてあったが、ペルナンブッコや、セアラー、パライーバの味をうたう店のメニューと比較しても、大差はない。
 私たち、塩辛い料理が好きだ。すなわち、彼は東北人、私は北陸人の感性を持っている。塩漬け乾燥肉カルネ・ド・ソルと、バイォン・デ・ドイスを注文することにした。コルダ・デ・フェイジョン、ケイジョ・コアリョをご飯と炒めた料理だ。ピメンタォン・ヴェルデ、ピメンタ・デ・シェイロ・アマレロなどを味付けに使う。さきに引用した〈キミらにお見せしよう……〉の歌は「バイォン」といい、むかし、ルイス・ゴンザガが歌ってヒットしたが、彼には、「バイォン・デ・ドイス」の名曲もある。〈男子厨房に入るべからず/そこは女子の場所だ/フェイジョン・デ・コルダをフライパンのあつあつご飯に合わせて/大急ぎで、居間に運ぼうぜ〉と、それは始まる。
 脂肪分が完全に抜けきった肉は、その名称にあるように、太陽(ソル)の味がしたとは言えない。これ以上火にかけたら炭になるだろうと思われるくらい時間をかけて焼き上げられていた。俳優リマ・ドゥアルテが好物と公言している「炒めご飯」を食しての感想は残飯、もとい厳しい環境で暮らす北東人の多くは、人生の彩りを食べ物や料理にもとめることが難しいだろう、というもので意見は一致した。隣の男も同じ品を食べていたが、おそろしい量の塩を一口ごとに振りかける奇矯ぶりだった。
 あれでよく生きているもんだなぁ、高血圧で早死にするぜ、と嘲笑してみたものの、向こうは女性連れだ。「フォホーダンス・レッスンの戦い」で敗れ去った独身男と一緒にいるのがつらくなった私は、遠くのダンス会場を無言でしばらく眺めていた。「バイオォン・デ・ドイス」の歌の締めを思い出した。〈バイオン踊るなら二人がいい/一人でもいいけど/やっぱり二人がいいんだ〉
 「この際、男二人で踊るってのも、たまにゃいいんじゃない。北国生まれの仲だし」。冗談か本気か。友人がうっとり見つめてきた。いや、断る。

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