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未来志向に意義唱える80年世代

グルメクラブ

4月26日(木)

 どこのだれが買って読むのだろう、と思っていた本が売れている。「アルマナキ・ドス・アノス80」(エジオウウロ出版)は、「八〇年代年鑑」の題名通り、その時代の文化風俗を豊富な資料で振り返る内容で、先々週のノンフィクション部門の売り上げ第三位にランクしていた。
 二十年前を懐かしむということは、主な購買層の年齢は三~四十歳に分布するのではないか。多分私と同年代だ。おそるおそる手にとって見た。やはり寒々しい気分に襲われた。ケイハク、キョエイ、ヒョーキンの三拍子が揃った時代、日本とブラジルの事情との間に大きな径庭はなかった。
 シューシャが子猫のポーズでヌードを披露している。肩幅の張った派手な紫色のジャケットを着て、ソフトパーマをかけた髪、額に真っ赤なバンダナを巻いている男がいる。歌手のルル・サントスだった。ファッション的にも、振り返るに恥多きというか、ダサイ日々を、私はできることなら思い出したくない。
 八〇年代のある日、私は小学生で、「不良少年の温床である」ことを理由に、立ち入りを禁止されていた喫茶店に友人と行った。私と友人はこっそり隠れるように座り、不良少年の言動を観察することにした。
 「ねえちゃん。ヒーコー一つ」
 「ねえちゃん。オレはウンコー」
 「ねえちゃん。オレにはクソーくれよ」
 ヒーコーは、コーヒーの逆さ読みだからすぐ分かった。当時は反対から読むのが流行した。「寿司を食う」は、「シースーをウークー」と言った。でも、ウンコー、クソーとはなんだろうか。ウエイトレスさんは困惑した表情を浮かべながらも、彼らの意図を承知していた感じだった。いつものことなのだろう。注文の品が来た。「ウ」イ「ン」ナー「コ」ーヒーと、「ク」リーム「ソ」ーダである。私たちは声を潜め笑った。そのセンスの悪さだけは、詰襟を着るようになっても絶対に真似しないでおこうと誓い合った。
 喫茶店には、こうして時代とお国柄がにじみ出るものだった。だが、最近ではなんでもかんでもグローバルというやつを原理に動いているから、世界中どこにいっても同じような喫茶店を見る、「マクドナルド化」現象が進行している。
 先日、サンパウロ州の人口が七月中にもアルゼンチン一国のそれを上回る四千万に達すると知って、ラルゴ・ド・カフェを訪ねた。振り返れば、今日のサンパウロ州の繁栄の土台を築いたのはコーヒーである。その最盛期に関係業者が集ったことから、「カフェ」と名付けられた小広場を目指し、てくてく歩き始めた。
 右手に見えますのがパテオ・デ・コレジオ、左手には……いつか食い詰めた日のために、観光ガイドの予行練習をしながら、昼時のボア・ヴィスタ街を通り抜け、サンベント修道院のある広場にまでやって来た。
 「オーチカ、オーチカ、オーチカ、オーチカ」の四連呼が聞こえてきた。メガネ屋の客引きの呼び文句なのだが、すっかりサンベント街の「音色」として定着している。来伯間もない私が、最初にきちんと発音できたポルトガル語の単語は、オーチカだ。
 由緒ある門前街といってもいい、このサンベント街は近年急速に様変わりした。消費者金融の会社が増え、二、三百メートルの距離に十二軒がずらーと立ち並ぶ。この街と交わるラルゴに着いたところ、以前は見かけなかった「カフェ・ラッテ」と書かれた看板が目に入った。イタリア語でミルクコーヒーの意だ。
 のぞいてみれば、まっ白に塗られた天井の高い店内、それはジャルジンスやイタイン、ヴィラ・オリンピアのハナヤカな繁華街にありがちな「現代」を装ったカフェのスタイルを踏襲している空間だ。流れる音楽は静かなジャズやボサノヴァで、ゴミを積んだリヤカーがいまだ行きかうような旧市街の空気とはなじんでいない印象も受けた。
 付近の銀行、弁護士事務所、証券取引所で働いているようなネクタイ族や、いわゆるデキるキャリアウーマンがランチを食べたり、コーヒーを飲んでいる。垢抜けないリベルダーデ区からゴムの靴底をすり減らして「上京」してきたTシャツ・ジーンズ姿の私に視線が集中するのが分かった。
 カフェを頼んだ。一・八レアルした。リベルダーデ区だったら二杯は飲めるなと考えながら、二レアル札を渡した。コーヒーは香り高く、そこらの味とは一線を画すものであった。カネさえ払えば上等のコーヒーを飲める、拝金主義の現代も悪くない。コーヒーの輸出に精を出した一部農園主が大もうけした時代を思えば、高品質のコーヒーを私のような「下々」までが気軽に飲めるようになった事態はまことに喜ばしい。
 コーヒーは、サンパウロ州モコッカのペセグエイロ農園の商品「カフェ・ファゼンダ」を使っている。スーパーでもたまに見かける。一八七〇年から続くコーヒー農園だ。苦味と酸味が上品なバランスを保っているのだが、「ファゼンダ」とわざわざ銘打っているのは感心しない。別にファゼンダなんて断りを入れなくても、すべてのコーヒーがファゼンダで収穫されたにきまっている。そういう都会の消費者の機嫌を取るようなマーケティングが、私は好きじゃない。
 鶯色のTシャツに、黒いズボン、頭髪にはおそろいの布が巻かれている若い店員が給仕する「カフェ・ラッテ」で考えた。進行中のセントロ再活性化とは、ハナヤカな繁華街のコピー版を作ることだろうか。
 昔日の旧市街には、レイテリアがあった。ディレイタ街との角には「カンポ・ベロ」、ミゲル・コウト街との角には「イピランガ」があった。いまや風前の灯のレイテリアこそ、ブラジルの喫茶文化だったが、復活の兆しの噂は聞かない。
 未来志向のサンパウロにいるのだからわかっちゃいるけど、時の奔流に身を任せているばかりじゃねぇ。その意味では、「八〇年代懐古」の道をひた走る同世代の気持ちも理解できる。
     ◎
 「カフェ・ラッテ」では、日替わりランチも用意されている。パスタなどイタリア料理が中心のライトなメニュー。二十レアル前後。営業時間午前八時~午後八時。土曜、日曜日は休業。コメルシオ街58。

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