2016年7月19日いよいよ任地のコロニア・ピニャールに向かう。 いくつかの町と整然と並ぶユーカリの林を抜けて、車は起伏のある赤い大地を走る。 サンパウロ市内から3時間も走ると道路に突然、日系社会のトレードマーク大きな赤い鳥居が見える。陸の孤島と言われるコロニア・ピニャールは、そこから4キロ奥地の集落だ。果物生産が盛んでビ ...
続きを読む »検索結果: JICA
JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第7回=「日本は豊かな国なのか?」
わたしは日本に生まれ育ち、恵まれている環境の中にいながらも、物足りなさを感じていた。 23歳の時、カンボジアの孤児院へ赴く機会があり、そこでのこどもたちとの出会いによって、貧しさの中に輝く笑顔から本当の豊かさとは何かを考えさせられた。 それから4年後、「日本は豊かな国なのか? 良さは何か?」という答えを探しに、福祉施設での ...
続きを読む »JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第6回=「何もないけれど全てがある」
「なにもないけれど、すべてがある」――赴任から約3か月が経った今、私がここラーモス移住地に抱いている印象です。 私は南伯サンタカタリーナ州のラーモス移住地で日系日本語学校教師として活動しています。大学時代に留学したスイスで多言語社会と言語教育に興味をもち、日本語教師となりました。インドネシアで半年間のアシスタント教師をし、さて ...
続きを読む »JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第5回=母娘のブラジルとの深い絆
ほんの10年前まで、私たち母娘はブラジルとこんなに深い絆ができるとは考えもつかなかった。日本人の誰もが思い描く、コーヒー豆とサッカーとサンバと広い大地。それが母娘のブラジルの知識だった。 まず、娘・裕美子が初めてブラジルに足を踏み入れたのは、大学の卒業旅行で南米を旅した時であった。卒業式前日に真っ黒に日焼けした顔で帰国した娘 ...
続きを読む »JICA=次長に佐藤真司さん着任=伯から東京五輪に貢献望む
JICAブラジル事務所の次長としてブラジルに赴任した佐藤真司さん(47、兵庫)が7日、着任あいさつのため来社した。先月19日に着伯し、ブラジリア事務所で総務経理・広報を担当している。 過去には日系社会青年ボランティアとして、ドミニカ共和国で日語教師を務めていた。またブラジルの前はエルサルバドル、ボリビアのJICA事務所次長だ ...
続きを読む »JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第4回=忘れられないピラポーラ
忘れもしない。ブラジルに到着して数日後、生まれて初めて12時間ほぼぶっ続けで車に揺られた。「リオから任地ミナス・ジェライス州ピラポーラまで約800キロを車で移動するってどういうことなんだろう?」当時の私は距離感もつかめず、ただめちゃくちゃ遠いということしかわからなかった。(800キロとは東京から広島までの距離だ) ピラポーラ ...
続きを読む »JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第3回=いつのまにかブラキチに
日本人移民史、日系人・日系社会に関する調査研究を専門とする、サンパウロ州サンパウロ市のサンパウロ人文科学研究所(以下、人文研)へ配属され、役員の高山儀子(のりこ)さんと共に同研究所の「50周年記念誌」編纂に携わっています。 私は元々、「大航海時代のポルトガルによる航海事業」に関心があり、研究の道へ入りました。大学院を出た後、 ...
続きを読む »JICA草の根事業=三年の環境教育指導に一区切り=「ここからがスタート」
サンパウロ州小学校教員の環境教育指導力の向上を図るため先月15~26日、公益財団法人「しまね国際センター」の有馬毅一郎理事長らが来伯した。24日に来社した一行は、カサパーバ市で環境実習や化学実験などの教育指導について報告した。 「JICA草の根技術協力事業」により2014年8月に始まった同事業。専門家派遣は今回が最後となった ...
続きを読む »サンパウロ州野球連盟=しめやかに70周年祝う=指導者育成など課題に直面=JICA派遣隊員に期待込め
今年で創立から70周年を迎えるパウリスタ野球連盟が先月22日、サンパウロ市内のホテルで記念式典を行なった。団体の資金難と経済不況が重なる時期だけに式典の見送りも検討されたが、日本カントリークラブ、サンパウロ、ジガンテ、コーペル・コチア、インダイアツーバ、アニャンゲーラといった各チームの役員や、現役選手も祝福に駆けつけた。 パ ...
続きを読む »JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第2回=自分のことはさておいた日々
1995年に開発青年としてサンパウロのブラジル日本交流協会へ団体事務職で派遣され、ブラジルの広い胸に押し返されながら悪戦苦闘する日本人研修生とともに泣いたり笑ったり、様々な生きざまを見守った3年間は、ボランティアが「人のため」と意訳できるなら、まさにボランティアを体現した3年間だった。 我の強い僕が、あそこまで「自分のことは ...
続きを読む »