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検索結果: 伯国

舞踏家=大野慶人と当地の深い絆=時代の〃開拓者〃の共感=(下)=東北の「暗黒」秘めた踊り=伝統から生まれたモダン

ニッケイ新聞 2013年3月8日  「大野一雄は終戦後すぐに踊り始めました。というか——踊らざるをえなかった。『みんなの魂を慰めないと』と真剣に思ったようです」。最初はドイツ表現主義的モダンダンスだったが、徐々に独自の境地に目覚めていく。特に、一雄同様にカリスマ的なダンサー土方巽(1928—86、秋田)との暗黒舞踊が有名になり、 ...

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舞踏家=大野慶人とブラジルの深い絆=時代の〃開拓者〃の共感=(上)=北海道、秋田の風土と舞踏=当地公演6回で最多

ニッケイ新聞 2013年3月7日  「大野一雄は北海道で開拓者の家族の一員として生まれ、新大陸ブラジルには強い共感を持っていたと思います」。舞踏家として世界的に有名な大野一雄(1906—2010、北海道函館)の息子、慶人(74、東京)は6度目の来伯公演に当たり、5日午前にサンパウロ市内ホテルで取材に応じ、当地への気持ちをそう代弁 ...

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第4回=五輪精神と嘉納治五郎

ニッケイ新聞 2012年8月28日付け  クーベルタンは手記に、古代オリンピックがヘレニズム(ギリシャ精神)文化圏の宗教行事であった祭典を、さらに広げ国際的なスポーツの祭典とし、ヨーロッパ文化が、アジアの洗練された文化、芸術と交じり合う事の大切さを記している。その糸口として彼はIOC会長として日本の文化を求めていたとも言われ、ス ...

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第3回=審判規定の問題大きい

ニッケイ新聞 2012年8月25日付け  日本の男子は金メダルを一個も獲得できなかった事は、本家として真剣に将来の日本の柔道あり方を考え直すべき時期に来ている。金メダルの獲得が女子の一個であった事で、日本の柔道が凋落期に入ったとは思われないが、世界の柔道界は他のスポーツ以上に、普及のスピードを速め、技も、力も、強力なダイナミズム ...

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第2回=我が子と分けへだてなく教え

ニッケイ新聞 2012年8月24日付け  報道に関してだけでなく、ブラジル柔道選手の試合を見ても他国に比べ姿勢が良く、腰を伸ばして、一本を取る柔道を目指し、態度が立派であったように思う。  フェリッペ・キタダイ選手は男子60キロ級で、ゴールデンスコアに入り、最後に相手を背負ったが、その技は、力の全てを出し切った無心の背負い投げ以 ...

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第1回=競技と共に報道レベルも向上

ニッケイ新聞 2012年8月23日付け  感動と熱狂に包まれて、ロンドンオリンピックが閉幕した。今回のロンドンオリンピックで、ブラジルに在住する我々が、ブラジル国民と一緒に感動し、最も話題にし続けたオリンピック種目は、柔道であったのではないだろうか。五輪旗は2016年のリオオリンピック開催を目指して、早速リオに到着した。南米初の ...

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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(4・終)=〃光は東方より〃と叫びたい

ニッケイ新聞 2012年7月7日付け  護憲革命で連邦軍が近づき、東山農場内に陣地をはっていたサンパウロ州軍がカンピーナス市方面に後退した時、興味深い光景がくり広げられた。山本喜誉司が書いた『農場で見た千九百三十二年護憲運動記』には、こうある。  【逃げ腰になっている弱い兵隊サンだけに一層哀愁の念も起る。たとえ弱い兵隊サンでも我 ...

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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(3)=ヅットラ大統領との奇縁

ニッケイ新聞 2012年7月6日付け  1930年3月、長女・謡子が腸チブスで亡くなったことが、山本に永住を決意させる一因となった。「父は最初、農場経営のために一時滞在のつもりで来た」と坦はいう。山本はブラジル人のポ語教師をつけてすぐにペラペラになり、全伯有数の専門機関だったカンピーナス農事研究所の学者や幹部と親交を深め、ブラジ ...

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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(2)=銃雨の中で日伯旗立てる

ニッケイ新聞 2012年7月5日付け  東山農場を挟んで両軍が対峙したその時——。 【9月27日=本部に據(よ)れる(サンパウロ州軍)一隊午後9時退却、本部の前方1キロメートルにある牧草地Anhumas No.1高地に據(よ)る。ここに本部は全く両軍の間に介在す。本部広場にはブラジル並びに日本国旗を掲げ中立を表示す。(中略)連邦 ...

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山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(1)=東山挟んで撃ち合いに

ニッケイ新聞 2012年7月4日付け  「今回語ったことの多くは、家族しか知らなかったことです」。2時間半にわたる取材の最後に、山本喜誉司(1892—1963、東京)の二男のカルロス坦(たん、88、北京生まれ)はそう付け加えた。ブラジル国家の背骨を作ったといわれるヴァルガス政権初期に起きた、ブラジル史最大の市民戦・護憲革命から数 ...

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