Deprecated: 関数 wpdb::escape は、バージョン 3.6.0 から非推奨になりました ! 代わりに wpdb::prepare() or esc_sql() を使用してください。 in /home/azevinho/nikkeyshimbun.jp/public_html/wp-includes/functions.php on line 6031
検索結果: 伯国 – 25ページ目 (29ページ中) – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB
ホーム | 検索結果: 伯国 (ページ 25)

検索結果: 伯国

ゲバラと共に戦った前村=ブラジル親族と再会したボリビア子孫=第1回=政府軍に拷問の末、銃殺=「テロリスト」か「侍」か

ニッケイ新聞 2012年2月11日付け  キューバ革命の英雄エルネスト・チェ・ゲバラといえば、今も南米左派勢力の憧れの的だ。彼は1967年10月、革命運動のために潜伏していたボリビア山中で政府軍に殺害された。ゲバラのゲリラ部隊20数人には唯一の日系人前村フレディ(ボリビア二世、1941—67)も加わっていた。フレディの父純吉は1 ...

続きを読む »

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=最終回=百周年で顕彰されたルイス=平田家に流れる信念の血

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  08年6月22日、パラナ州ローランジャ市の日本移民百周式典で、ロベルト・レキオン州知事が熱のこもった演説の最後の最後で、なんども名前を挙げて感謝した日系人がいる。  「彼は勇気ある、意義深い、英雄的な日本移民子孫であり、国の近代史において根本的な役割を演じた。軍事政権へのレジスタンス( ...

続きを読む »

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第5回=娘が学生運動で監獄に=州知事に直談判し亡命?

ニッケイ新聞 2011年10月21日付け  美津子は、「私は父の仕事の関係であちこち転勤ばかりして苦労したので、絶対に外交官とは結婚しないと決めていました。それなのに、政治家という最も家に寄り付かない人と結婚してしまった」と笑う。  「毎日朝早くうちを出て、子供が寝てから帰宅でしょ。子供とは日曜日の午前中しか会えないのよ。この時 ...

続きを読む »

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第4回=カトリックが結ぶ愛=400年経て結実するもの

ニッケイ新聞 2011年10月20日付け  福岡県大刀洗町で、長女ヘレナと長男久幸(ひさゆき)の二子が生まれた。戦後、外務省から父ら3人に戻らないかと声がかかったが、父の兄は戦争中に亡くなり、父の弟だけが復帰し、オランダ大使を最後に退任した。  1951年、まず平田がブラジルに戻った。「先に自分が帰って、仕事を見つける。それから ...

続きを読む »

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第3回=「移民の子と結婚するのか」=家族の反対押し切って

ニッケイ新聞 2011年10月19日付け  美津子は当時のNHK内で平田進と知り合ったいきさつを、こう説明する。「アメリカ二世が大勢いて、みんなとは英語で話していましたが、彼らは日本語はしゃべれても読み書きは苦手だった。その点、平田は完璧にできた。しかも、お互いにカトリックだった。家族の中でもカトリックは私一人だったので、いろい ...

続きを読む »

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第2回=大東亜省で大臣秘書に=「東京ローズ」と働く

ニッケイ新聞 2011年10月18日付け  1940年7月に成立した第2次近衛内閣で外務大臣に就任した松岡洋右は、強烈なリーダーシップをみせ、それまで官僚主導だった外交を転換させるべく、重光葵(駐英大使)以外の主要な在外外交官40数人を更迭し、代議士や軍人などを代わりに送り込む「松岡人事」を実行した。この時に父・岡本久吉、テヘラ ...

続きを読む »

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第1回=英語で教育された才女=父と兄弟3人は外交官

ニッケイ新聞 2011年10月15日付け  「コスモポリタン(世界市民)そのものの移民女性の生涯を書いてみたいと思いました」。ブラジル日本移民史料館9階で9月15日夜に行なわれたポ語人物評伝『Cecilia Hirata』(editora Terceiro Nome刊、10年)の日系社会向け刊行記念パーティで、著者の優美(ゆみ) ...

続きを読む »

「第3の波」到来か=ブラジル進出企業の今を追う=《6・終》=「過去の歴史繰り返すな」=百年の交流が築いた信頼

 ブラジル東京銀行元頭取、デロイト・トウシュ・トーマツ監査法人最高顧問を歴任した鈴木孝憲氏は昨年11月、日本経済新聞出版社から『2020年のブラジル経済』を出版し、その反響は大きかった。メディアでの「ブラジル」の露出も増え、同氏が訴えてきたブラジルの市場価値にようやく日本企業が目を向けはじめている中、「過去の歴史を繰り返すな」と ...

続きを読む »

「第3の波」到来か=ブラジル進出企業の今を追う=《5》=年550社がジェトロ訪問=澤田所長「企業の姿勢変わった」

 ジェトロ(日本貿易振興機構)サンパウロセンターの澤田吉啓所長は毎日ひっきりなしに訪れる企業訪問者の対応に追われている。2001年から05年まで次長として同事務所で勤務した頃と比べてその数は4倍近く、昨年は550社以上に上った。以前は中国経済に視線が傾注されていた時代、「マクロで定点観測的」だったブラジルの視察も、「本格的な進出 ...

続きを読む »

「第3の波」到来か=ブラジル進出企業の今を追う=《4》=パナソニック・ド・ブラジル=初の白物家電に参入=「新しい1ページを」

 ブラジル進出40年を超えるパナソニックが2月末、新工場の設立を始めた。サンジョゼ・ドス・カンポス、マナウス工場に続き、第3の工場としてミナス・ジェライス州エストレマ市に冷蔵庫、洗濯機の生産工場の建設に取り掛かり、新工場完成予定の来年末からブラジル白物家電市場に本格参入する。ハイパーインフレ時代を乗り越え、パナソニック・ド・ブラ ...

続きを読む »