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勝ち負け抗争 関連記事

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第32回(最終回)=軍政終了30周年の意味

 認識派は戦中に受けた心の傷から「政府批判」に敏感になっており、勝ち組が力をつけると公に政府批判を始める可能性があると見た。その前に徹底解体しなければ自分たちが巻き添えを食うから、政府側について一緒に弾圧する側に回る―ことを選んだのではないか。  とはいえ勝ち組大衆も、それを抑圧する側にまわった側も、「戦争」という一枚のコインの ...

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野村さんの遺族いずこに=勝ち負け抗争で犠牲=取材記者、月末に来聖

 戦後のブラジル日系社会を震撼させた勝ち組負け組抗争事件の取材を続ける日本人ジャーナリストが今月末に来聖し、関係者へのインタビューを試みる。一連の事件の発生から来年で70年の節目。現代の日本社会では事件の存在はおろか、日本政府が海外移住を国策として推奨した時代があったことすら知らない世代が増えている。「戦争と移民は切り離せない。 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第28回=歴史がムリなら小説に投影

1969年10月18日、金婚式のお祝いで撮った家族写真。(前列左から)岸本、萩乃、(後列同)次女ルッチ、三男ヨツギ、三女耐子、長男ルイス、長女クララ、次男イザク

 病気を治すには「自分が病気であることを認識する」のが第一歩だ。つまり、ストレスの原因がブラジル社会との関係にあったと日系社会が自己認識するには、移民史の中に記す必要があった。 ところが、戦中の迫害をまっさきに書いた岸本は国籍剥奪裁判という事態となり、「表現の自由」は奪われたまま。ヴァルガス独裁政権の続きの50年代はもちろん、6 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第27回=「圧力鍋」が爆発した理由

 『不適応』は、海外不適応の舞台がブラジルのような《発展途上国では、一般に万事が激烈であり、また直接的な形をとりやすい。まず、在留邦人の呈する不適応現象の表れ方は、どちらかというと急激で強烈なものとなりやすい》(44頁)と指摘する。敵性国人として扱われ弾圧を受けた戦中は、まさにその条件に当てはまる。 中根は、海外における日本人集 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第24回=日本移民が抱く故郷喪失感

『バウルー管内の邦人』1頁目。戦前の調査では八割五分が「帰国希望」と回答した

 「帰りたくても帰れない」――これを故郷喪失と言わずして何というのか。「ディアスポラ」(離散した者、故国喪失者)という言葉は、日本人には身近ではないが、「生まれた場所を追われて離散し、祖国喪失感を刻まれた民族」を示す。 一般的にはユダヤ人やパレスチナ人、アルメニア人、時にアフリカから新大陸に連れて来られた黒人、中国から出て行った ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第23回=75%が帰国できなかった現実

家民主化へは足を踏み出したが、ある部分、ヴァルガス路線を継いだドゥトラ大統領(1946~51年)(Galeria de Presidentes, Public domain)

 前節の藤野純三のような戦勝派が「日本は負けるはずがない」との信念で固まっていたのは、戦前移民の大半は「5年、10年したら金を貯めて日本に帰る」つもりでいたことに関係する。 1939年に刊行された現勢調査報告書『バウルー管内の邦人』(輪湖俊午郎編)の巻頭で、在留邦人の実に85%が「帰国」する意向だと答えた。この人たちの多くが、戦 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第21回=ブラジルを裏切ったユダ

 《キシモトはユダの微笑を顔に浮かべながら、手にはブルータスの短刀を隠し、彼の息子たちを温かく迎えて彼自身も帰化した祖国(編註=ブラジル)を裏切った》。ミランダ報告書を受けて、DOPSのロッシャ警部補は48年4月29日付の報告書で、そう憎しみを込めた書き方をした。 ユダはキリストを裏切ったとされる弟子、ブルータスはローマ末期の独 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(4)

オリンピアの大農場主、金城正仁家の人々

 それから20年の歳月が流れた。沖縄庶民の暮らしは何も変らぬ昔同様、それこそドン底の暮らしであった。 そこでまた、亀の弟金城正仁が、これまた同じ動機で18歳の長女を先頭に1歳の乳飲み子までの8人の子供を引き連れてブラジルに移住、モジアナ線地方に入植した。 1937年のことであった。10人家族で過酷なコーヒー栽培に従事、成長する子 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第12回=日本移民版「出エジプト記」

強制退去の様子を報じる『A Tribuna』(サントス)1943年7月10日付け(AESP)

 岸本昂一はこのサントス強制立ち退きを《大南米におけるわれらの「出埃及(エジプト)記」》(同42頁)と譬えた。 岸本のようなキリスト者にとって、ユダヤの民がモーゼに導かれてエジプトを脱出する苦難の歴史に匹敵する大事件であった。何千年経っても忘れない様に、ユダヤ人はその出来事を「旧約聖書」に刻み込んだ。 6500人もが追い立てられ ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第11回=サントス強制立退き令の悲劇

『戦野』初版の目次前半

 『戦野』は戦中のどんな〃ブラジルの機密を暴露〃していたのか――。 『戦野』の第1章1節の見出しのみを羅列すると「日ブラジル交断絶」「資金凍結下の苦闘」「日本語教育受難」「日本人農家五十家族立退命令」「市内の日本人、立ち退き命令」で13頁。2節「昔懐かしコンデ街」では、その歴史から立退命令まで9頁に渡って説明されている。 3節「 ...

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