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チリ=ピノチェト軍政開始40年=(上)=11日には首都でデモも=虐殺・行方不明は4万人

ニッケイ新聞 2013年9月13日

 11日、チリではアウグスト・ピノチェト氏がクーデターで軍事政権を握って40周年を迎えたことで、同氏の政権時の弾圧や虐殺に反対する国民たちが首都サンチアゴなどでデモを行い、68人が逮捕された。
 1973年9月11日、ときの陸軍総司令官だったピノチェト氏は、当時の政権担当者、サルバドール・アジェンデ大統領の官邸を陸・空軍と警察軍を駆使して襲撃した。このクーデターで、ピノチェト氏はチリの大統領の座についた。
 アジェンデ氏は1970年に大統領に当選し、チリに南米初の自由選挙による社会主義政権をもたらした。同政権の成立は、「暴力を伴って成立する」という従来の共産国家のイメージを覆したが、社会主義化に伴って経済状況が不安定となり、クーデター当時も物資不足が起こるなど国が混乱していた。
 ピノチェト氏は大統領に就任すると、社会主義的だとされる一切の思想を弾圧し、異議を唱える運動家を逮捕し、拷問や大量殺戮を行った。歌で社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン」の担い手として知られた歌手のビクトル・ハラはクーデター直後に逮捕され、5日後の16日にチリ・スタジアムで虐殺されている。また、南米文学史を代表する詩人で71年にノーベル文学賞に輝いたパブロ・ネルーダ氏も、癌で闘病中だったのに軍が自宅に侵入し、蔵書を捨て家を破壊するなどの暴挙に出たために病状が悪化、9月23日に病院に行く途中、検問にあって救急車から引きずり下ろされるなどして、病院に着く前に亡くなっている。
 こうしたことからピノチェト氏は国連からも警告を受け、ローマ法王(1978〜2005年)だったヨハネ・パウロ2世からも公然と批判されたりしたが、東西冷戦の中、米国の後ろ盾で社会主義政権を打倒した。1982年に起きたマルビナス戦争では、当時チリとの関係が悪化していたアルゼンチンに対抗するために英国側についている。なお、伯国は73年9月13日、世界で最初にピノチェト政権を認めた国になっている。
 ピノチェト氏は独裁を続け、88年には任期をさらに8年延ばす提案を行った。だが、国民は貧富の差を拡大し失業率も上げた政権に反対、同年10月の国民投票で任期延期の提案が否決されたことで、90年3月、同氏は大統領を辞任した。
 ピノチェト大統領の就任期間中、チリでの弾圧による死者・行方不明者は4万280人。これは伯国の軍政時代(1964〜85年)のそれの約80倍に値する数だ。

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