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コラム 樹海


 戦後移民がはじまって五十年。各地に送り込まれた計画移民がどれほど苦汁をなめたか、史実の示すところだ。戦前の移民と似たり寄ったりの辛苦を重ね、運・不運も手伝って成功者もあれば、その逆の境涯者もいる。移民社会は複雑で新移民に希望を与えたり、がっかりさせたりの習わしであったように思う▼半世紀経ったいま大方が忘れてしまっているのに渡航費(船賃)がある。例外はあるが、大多数は貸付け移民で来た。神戸や横浜の斡旋所に入所してから、言われるまま「契約書」に署名したことをよもや忘れてはおるまい。でも船賃は、最終的には〃支給〃された形がとられた。すでに一件落着をみているので安心してよい▼この契約書の中(第四条)に「ブラジル国の法令を守り、現地社会への同化に努めるものとする」がある。遵法に忠実な移民ほど、まずは〃同化〃に精励することを心がけた。そう決め込んだとしても不思議でない。かくて予想外のスピードで同化していく。その顕われがコロニアこんにちの鷹揚な姿だ。何ごとも大ざっぱでのんびり行こう……なのである。ただし、アイデンティティー(帰属意識)だけは失なっていない▼食料不足と人口問題を抱えていた五十年前の日本、戦後移民は国の口減らし策に貢献したと言えないこともない。それはさておくとして、わたしどもが原点に立ち戻るとき、日本国民の税金(船賃)で渡伯できたことに感謝すべきであろう。忘恩の徒ではありたくない。 (田)

03/04/16

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