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コラム 樹海


 遺書「巌頭之感」を残し一高生の藤村操が華厳の滝に身を沈めたのが百年前の明治三十六年五月二十二日である。「悠々たる哉天壌」で始まる十八歳の遺書は「大いなる悲観は大いなる楽観と一致するを」とも続く。叔父の那珂通世博士は「いかなればかかる極端の厭世家を生じたるか。思えば不可思議なり。嗚呼哀しいかな」と書き世には哲学的な行き詰まりからの自裁説が流れる▼この後、華厳の滝から後追い自殺が続出するようになる。だが、近年になって藤村操が馬島千代さんという佳人に恋をしての自殺の見方が強まっているし、必ずしも哲学的な死とだけは言い切れないらしい。それにしても、日本の自殺は多すぎるほどに多い。文学者では芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成などと一杯いる▼だが、今の年間に三万人以上は異常に過ぎる。バブル崩壊からの不景気が理由らしいけれでも、世には「死んで花実が咲くものか」の譬えもある。数年前には中小企業の社長三人がホテルで経営苦のために集団自決して話題となったが、これで物事が解決したとは言い難い。もっと不可解なのはインターネットで知り合い集団自殺する若人である▼世の中が嫌に。生きるのが辛いーなどの単純な原因だけに恐ろしい。若いときには誰しもが「死」を考える。だが、若い人たちには、これを打ち破る力を学ぶ努力と悩みが少ないのではないか。電話の会話とネットでの交信だけで自分と他者の「死の選択」は余りに安易に過ぎないか。   (遯)

03/05/27

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