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独学で介護福祉士資格―シニアの安達さん老ク連に着任―お年寄りと喜び、悲しみ共有したい

7月15日(火)

 「夫の足跡を探してここまで、来たのかもしれない」安達正子さん(六〇)は、微笑みながら語った。山梨県で働いていた安達さんはJICAシニアボランティアとして、ブラジル老人クラブ連合会に着任した。同会では主に、レクリエーションの指導を行う。

 輝ける碧き空の下で―。北杜夫が日本文学大賞を受賞した大作。一部で移民生活の苦労を、二部で太平洋戦争に翻弄される移民の姿を描く。子育てに忙しかった頃、同著書を夫に勧められたが、忙しさのため本を開くことは無かった。来伯前、ふと同著を手にして開くと、無数の線が引かれていた。その時、夫のブラジルへの思いを始めて知ったと言う。
 七年前安達さんは、一男二女を持つ主婦だった。五十三歳の四月、長男を自殺で亡くす。六年間のこころの病を抱えての行動だった。その二十日後の五月、牧師だった夫が心臓発作で倒れ、帰らぬ人となった。
 一カ月後の六月から、安達さんは痴ほう老人を対象とする老人福祉施設で働き始める。洗顔などの生活の手伝いから、レクリエーションの指導まで仕事は多忙だった。仕事の中で、お年よりたちに救われることが多かった。化石のような表情をする老人に、毎日のように微笑みかけていたある日、老人が微笑を返し何事か口ごもっていた。顔を近づけると「私もがんばっているから、あなたもがんばりなさい」と、耳元で老人はささやいた。
 働き始めて二年目に、山梨県と姉妹州県提携するアイオワ州で講演を行った。この講演会を聞いた多くの人から抱きしめられた。これを契機にして、翌年同州のグループホームで一カ月の研修を行い、介護は言葉と国境を超えることを実感した。
 帰国したその年、五十七歳で介護福祉士の資格を獲得した。仕事から帰り、午前二時まで勉強に没頭したこともしばしば。この時の猛勉強は、座布団が擦り切れるほどだったと言う。「介護福祉士の資格をとっておけば、定年後でも誰かの役に立てると思ったから」と、当時を振り返った。
 「蒼茫の民」と呼ばれた移民の壮絶な苦労や悲しみを、二人を亡くした自分の経験と重ね合わせる。現在の明るい老人クラブの雰囲気が、現在の仕事を「楽しい」と感じさせる。「お年よりたちと喜びと悲しみを共有し、多くのことを学びたい」と、今後の抱負を語る。
 「夫は、山や自然が好きで、よくバイクに乗って一人で各地を回っていました。夫の死後、私は車の免許をとり、一人で夫のあとを追い各地を回りました」。夫の足跡を探して、二年の生活が始まる。

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