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メンソーレ(いらっしゃい)〝おばぁ〟= 平良とみさん明日公演

8月15日(金)

 沖縄から〃おばぁ〃が元気にやって来た―。十六、十七日にサンパウロ公演を控える役者、平良とみさんが十四日朝着聖。「以前から来たいと思っていた国。飛行機に乗っていた時間も長いとは思わなかった」と、沖縄に輝く太陽(ティーダ)のような笑顔を見せた。
 到着ゲートからトコトコと歩く姿が目に入った。手荷物に大きな丸い箱がひとつ。中身は帽子だった。気候に合わせて三つ用意してきたという。
 「沖縄芝居は自髪が基本なのでパーマなどのおしゃれができない」せいもあるが、「ぜいたく出来ない時代に育った。お金を自分で稼げるようになったら、帽子を買いたいと夢見ていたの」
 日本を発つ前日、愛知県内の沖縄物産店で日系の若者から励ましのメモを受け取った。サンパウロでは長年のファンが待つと聞いて、思わず「イチャリバチョーデ(会えばみな兄弟)」。ウチナー言葉が口をついて出た。
 本土が鎖国していた時代にも沖縄は外国との交流があった土地。「全然知らない人にも心を開いて『うちでお茶でも』となる」。そんな気風に魅せられて、昨年本土から住民票を移した人は約二万七千人を数えるそうだ。
 しかし実際、土着の文化や風俗習慣は目に見えて消えつつある。今公演のような一人語りの舞台はもちろん本業の沖縄芝居でも琉球方言が基本だが、「沖縄でさえ三十歳以下の人には理解してもらえない、だから標準語交じりに変えたりする」。ただ、文化は言葉が基本。ウチナーの言葉でしか伝えられない気持ちもあるというのが正直な思いだ。
 夫は役者の平良進さん。沖縄歌舞団の一員として来伯公演を二回経験している。「ブラジルにはまだかつての沖縄が残っている」。進さんからそう聞いていた国で、念願の舞台が実現する。もちろん昔ながらの琉装でステージに立つ。
 平良さんの語りに花を添えるのが島唄・三線の大島保克さんだ。同日到着した足でリベルダーデを散策。「同じ村(石垣島白保)に住んでいた両親の知り合いが移住したと聞いている。移住者の方々と話をするのが楽しみ」
 現在は関西を拠点に活動。故郷には年に五回ほどのペースで帰省しているが「沖縄は急激に変貌している」。だからこそ、これが沖縄という〃匂い〃を放つ文化を伝え残したい、と力をこめる。
 一方、自作の曲を積極的に発表、欧州各地で公演するなど活動の幅を広げる。民族音楽ではアイルランド・ケルトの音楽が好きだ。「イングランドとアイルランドの歴史的関係が本土と沖縄のそれに似ているせいもあって」と、ここでもウチナー意識が顔を出すこだわりを見せた。
 公演は明日(沖縄県人会)、明後日(文協)の二日間。ともに午後三時から。チケットはニッケイ新聞社(電話3208・3977)、文協(3208・1705)、沖縄県人会(3106・8823)明石屋宝石店(3208・1833)まで。二十レアル。

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