8月28日(木)
「日本とはかなり事情が違って、ブラジルは経営が難しい」。月によっては一〇〇%を超えるハイパーインフレ真只中の一九九三年の開塾式で、多くの塾生がそう訴えた。それに対して「泣いて何が起きるのですか、インフレはそんなにネガティブなのですか」と稲盛和夫塾長は答えた。実は塾生たちも頭では分かっていた。そんな時代だからこそ、逆にインフレを利用して利益を出している会社が多く存在していることを。
最後に塾長は「私はどんな時代に生まれようが、どこに生まれようが、現在と同じような事業をやったでしょう」と結んだ。多くの塾生は「塾長だってただの人間だ。自分だってその可能性はある」と確信し、現在の状況に夢が持てるような気持ちになった。
稲盛哲学をブラジルに適応させるには、まず経営者自身が気持ちを入れかえて実際の経営に反映させることが第一だ。
蒼鳳(SOHO)代表の飯島秀昭さん(五二、埼玉県出身)は「経営はどうあるべきかという〃地図〃を示してくれた」と評する。「行く道が分かっただけでも、すごく嬉しい。まだまだ理に適ってない行動も多々あると思うけど、後は自分が動くということ」。
蒼鳳が最初の美容サロンを七人で始めたのは八二年のことだった。九三年に入塾する頃には約百人で六店という規模だった。「まだパーマ屋レベル、お山の大将だった」と謙遜する。
「会社が何のために存在するのか、どんな方向へ行くのか、行きたいのかも分からず、暗中模索の状態でした」。病気で片目を失明し、肉体的にも精神的にもかなり行き詰まりを感じていたに違いない。
「私の職業は美容師ですから、頑張ったってたかがしれてる」。開塾式で飯島さんはぼやいた。すると塾長は「私だってたかが陶器屋ですよ」と前置きし、世界の国々の半分で店舗展開する巨大外食産業の例を出した。「あなたの商品とマクドナルドの商品はどちらが高いのですか? またマクドナルドの商品はそんなに他のハンバーガーと違いますか?」と尋ねた。
「そりゃ、うちの方がカットは高いし、別にハンバーガーはこれといって特別なものではありません」。飯島さんはそう返答した。「でしょう…。どう価値を付けるかが商売なのです。十分、あなたの職業も可能性があります。良く考えなさい」と塾長はさとした。
どこにでもあるありふれたハンバーガーが、接客マニュアル、イメージ戦略、製造や流通などの工夫によって、文化や言葉を超え世界的商品に成長した。塾長の言葉が頭の中を駆け巡った。どう価値を付けるかが商売なのです――。
「この出逢いで人生が百八十度転換しました。美容業界の常識に囚われ、自分で自分に限界を作っている部分に気付いたのです。片目になった私に第三の目が開眼しました」
蒼鳳二十一年の歴史の中で、九三年までの十一年間に六店(従業員百人)だったのが、それ以降の十年間に二十四店開店し、従業員は合計約千人へ。営利面だけではない。入塾以降、掃除の会、YOSAKOIソーランなどの社会活動にも関わるようになったが、始まりはみな塾ネットワークだった。
一人相撲で闇雲に四苦八苦していた同じ人間が、経営の〃目覚め〃を得ただけで、大きく結果が変わった。盛和塾の熱気が「ある種、宗教的」といわれる由縁かもしれない。
(深沢正雪記者)
■国境を越える経営哲学=盛和塾ブラジル10周年(1)=最悪の経済状態に始動=迷いながら50人で開塾
■国境を越える経営哲学=盛和塾ブラジル10周年(2)=「塾長もただの人間だ」=経営問答で目覚め急成長
■国境を越える経営哲学=盛和塾ブラジル10周年(3)=「税金なんか払えるか」=日本的考え方への抵抗
■国境を越える経営哲学=盛和塾ブラジル10周年(4)=独自のシステムを作る=従業員教育は適応の要
■国境を越える経営哲学=盛和塾ブラジル10周年(5)=組織を拡大するには=コチア崩壊の痛い教訓