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日本の美徳を笑いと涙で=初来伯の講談に爆笑の渦

1月13日(火)

 バンバンー。扇子の音が文協記念講堂にこだまする。コロニアに初めて講段がやってきた。ブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)は、十一日午後二時から「文協寄席・日本の話芸・講談」を催した。会場にはおよそ八百人が来場。宝井琴梅師匠と四人の渥美講談塾生(千葉県)による講談に、会場は爆笑の渦に包まれた。
 琴梅師匠の登場当初、「私も若い頃はブラジルに移住しようと考えていた」と会場をわかせる場面もあった。最後、顔を上気させた宝井琴梅師匠が正座で一礼。途中、涙をこぼしていた高齢の男性が、最後には笑顔に戻り、しきりに拍手を贈るという場面も見られた。
 よもすがら検校(長谷川伸原作)あらすじ―。検校(けんぎょう、盲人の最上級の官名)は、当代随一の平家物語の語り手。江戸から京へ戻る道中、部下の裏切りにより雪の中に置いていかれた検校。助けたのは夜逃げ中の若蔵という若者だった。献身的な若蔵のお陰で、検校は一命をとりとめた。数年後に京の検校を訪ねた若蔵。検校は最も大事にした琵琶を炉にくべてお茶を出す。モノ、金の世の中に、命の恩人にこころざしで返礼した。古き良き日本の美徳を思い起こさせる一席だった。
 来場していた七十代の男性(サンパウロ市)は「講談のような日本文化に、もっと来てもらって、二、三世を日本文化に導いて欲しい。それが、結局我々一世のためになる」と感想を語った。また、六十代(モジ・ダス・クルーゼス市)は「講談は若い頃に聞いていた。講談によく連れて行ってくれた東京の兄を思い出した」と懐かしそうだった。
 琴梅師匠は一九四一年、東京生まれ。都立本所工業高校電気科卒業後溶接工となるが、講談の魅力にとりつかれ、六六年に十二代目田辺南鶴師に入門する。六八年には、南鶴師の死亡により五代目宝井馬琴門下となる。六九年に二つ目。七五年六月に真打昇進。琴梅を襲名、今日に至る。

 

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