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《寄稿》リンス在住ジャーナリスト=蒸留工場進出に揺れる=伝統ある平野植民地

1月17日(土)

 一九一五年、カフェランジアの平野植民地(トレース・バーラス)を建設した平野運平氏の夢の一つは、山の向こうまで開拓地を広げることだった。それは平野氏の死後、一九二八年に三千八百四十九アルケールを購入した時に始まり、タンガラー1~7と呼ばれた――。
 現在、このタンガラー・セッテ地区に建設が予定されているアルコール蒸留工場が論争を巻き起こしている。リンス在住のジャーナリスト、シゲユキ・ヨシクニ氏が本紙ポルトガル語版に寄せた投稿文を翻訳、要約して掲載する。
 今年七月に創立七十周年記念事業を予定しているタンガラー・セッテ地区住民は、アルコール蒸留工場が同地区につくられるという知らせを受けた。アルコールの臭いや燃えかす、車両の乗り入れ、雑多な人々の流入など、環境への損害を考えると、蒸留工場進出の善し悪しを予測できる者は誰もいない。
 各住民の事情によって、蒸留工場へ対する考え方も違う。しかし、家族規模で開拓した今日の生活にも関わらず、その財産を手放さなければならなくなる。多くの人は農作物が不作となると、銀行の借金を清算するため、財産を売らなければならなかったことから、今後、待ち構える困難も分かっている。なかには、日本にデカセギに行った人もいる。
 タンガラー・セッテ地区の絶頂期には、二つの協会が存在した。日本語学校には七十人の生徒がいたこともあり、野球部が活躍し、また、舞踊大会や相撲大会など数々の行事が催された。多くの子弟が大学へ進出し、フランスで博士号を修得したウベラーンジア連邦大学教授、ミリアン・トクモト博士ら多くの識者を輩出した。
 しかし、いま、日本語学校は存在しない。日本語に興味を持つ、ごく少数の生徒が毎週土曜日、リンスへ通っている。タンガラー・セッテ文協の会員も三十人に満たない。住民たちはサンパウロ市やパラナ州へと流出し、最近では日本政府の援助などを受けたバイーア州のセラード開拓事業へと移動した。開拓地の一つは、ジュアゼイロ・ダ・バイーアと呼ばれ、輸出農産物を作っている。
 タンガラー・セッテ地区は様々な局面を乗り越えてきた。農業と牧畜業を組み合わせたりした。しかし、決定的な個性をなくすことなく、工場進出に対決する元気はあるだろうか。タンガラー・セッテ地区は大変貌するだろう。かつての姿は二度と戻らない。

 

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