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日本文化の伝承を考える(5)=平等のとらえ方

1月29日(木)

 かなり以前の話しだが、その年の日本で最も納税額の大きかった是銀という相場師は電車で仕事に通っていたという。また土光国鉄総裁は簡素な家に住み私鉄電車で仕事に通っていたという。日本とブラジルでは鉄道事情が違うことを考慮しても、ブラジルでは考えられないことだ。
 日本では、昼食時の外食で、受け付けの女の子と重役が同じ食堂で昼食をとっていることは、特にめずらしいことではない。昨日入った平社員と長年勤務の重役との給与差は、ブラジルのそれとは驚くほどすくない。社会の中での給与差、例えば家政婦や掃除夫と大企業の社長との給与差は、ブラジルと較べても、欧米と較べても驚くほど少ない。
ある意識調査では、日本人のほとんどは、自分を中産階級と感じているとの結果報告がある。ブラジルでは貧富の差が激しく、資産と社会的地位によって上層階級が出来ているとともに、ファベラと呼ばれる貧民窟や北部地帯の貧農や農場の労働者という下層階級が存在する。近代化を成し遂げた先進国のなかでも、日本は富の再配分が最も公平に行われている国のひとつである。これらの面を見ると、日本は経済面での平等が行き届いた国と言える。
日本の企業や官僚組織では、軍隊で言えば下級将校や下士官にあたる中間管理職の力が想像以上に強いのが特徴である。彼らは、トップの交代などに余り関係なく組織を背負って、身を粉にして働く。ブラジルでは、企業の経営はトップの責任において為されるが、日本では往々にして責任の所在が曖昧になることがある。極端にいえば、トップは集団に属する一人という面が強い。そのために、トップにとっては、集団を自己の意思で動かす自由・力が非常に制約される。反面、集団がトップ一人に責任を負わせ、冷たく切り捨てるといった危険性も少ない。日本では全てをトップの責任にするという構造となりにくい。つまり日本の社会においては権力がひとりに集中するのを避ける傾向がある。
 例えば、劉邦、ジンギスカン、ナポレオン、毛沢東といった歴史上の英雄は日本には無縁である。それらに最も近いのは織田信長だが、それも非常に理解し難い状況で抹殺されている。
「出る杭は打たれる」という。出すぎた者、必要以上に自己主張する者、能力を見せびらかして目立つ者を嫌う傾向が強い。日本における個人をとりまく人間関係のあり方に内在するこの一面が、日本の階層を作らない平等感を成立させている。
 個人主義の社会では、平等とは、個人の差、能力の違い、ひいてはエリート層の存在をも認めた上での平等と言われる。このあたりの感覚は、日本人には解りにくい。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)

 

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