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日本文化の伝承を考える(14)=世間を配慮した言動

2月24日(火)

 ブラジルの社会では人の目につくところ、例えば街の広場、電車の中、公園などに、片端(かたわ)と呼ばれる人を見かける機会が多い。日本の方が医療環境がよいとは言え、このような人の生まれる確率にそれほど大きな違いがあるとは思えない。恐らく日本では人の目につくところに出すことを避けるようにしていると思われる。
 私が育った地方では、見合い結婚をする前に「聞き合わせ」といって、結婚相手の家の近所を聞いてまわって評判を調べる習慣がある。ほとんど悪い評判を聞くことはないのだが。
 日本にいた頃の私は、顎鬚を生やし、ジーンズ姿だったので、母から「そんな格好で外に出ると体裁が悪い」と言われたものだ。また、犯罪者を出した家族が記者のインタビューに、「世間に顔向けが出来ない」と答えているのを日本のテレビ・新聞のマスコミでよくみかける。一人の恥は家や集団の恥とする。この様な世間を配慮した言動は日本の社会でごく普通に見られる現象である。
 数年前仕事で2年間ほど日本に行った経験もある私と同年輩の知人がいて、町で出会って一緒に食事をするときなど、日本での生活、ブラジルでの生活が話題になる。彼によると「ブラジルでは、誰気兼ねなしに生活できるからいいよ」となる。私も全く同意見なのだが、この意見の裏を返せば「日本では誰かに気兼ねして生活しなければならない」となる。この言い方は少し大げさに聞こえるけれど、日本で長い間、日本人として生活した人ならば思い当たることだろう。
 ブラジルでは子供の躾や教育過程で、自己をどのように表現するか、自己をどのように主張するかに重点が置かれるのに対し、日本ではどの様にすれば聞き上手になるか、どの様にすれば世間を配慮した行動が取れるかに重点を置くと言われる。
 開放的なラテン系民族の性格によるものか、ブラジルの社会では、文化規範が個人を縛る度合いは随分と少ない。自由で開放的である。その分人間の欲望が生の形で表れ、犯罪も多い。日本人移民のように文化規範の締め付けが強いところから弱いところに移るより、出稼ぎのようにブラジルから日本へ移り住む方が、問題が起こり易いのは容易に想像できる。
 日本は世界でも最も治安のよい国のひとつである。日本人は「世間を配慮して生活している」からこそ日本は治安が安定しているとも言える。つまり自由な生活ということを基準にすれば世間を配慮することは否定的に作用し、治安ということを基準にすれば世間を配慮することは肯定的に作用する。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)

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