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日本文化の伝承を考える(13)=イエ社会

2月21日(土)

 本田技研がアメリカの規定に合う、公害の少ない排気ガスのエンジンCVCC開発プロセスを番組にしたNHKの「プロジェクトX」がTV CULTURAで紹介された。その番組の中で、社員が二段ベットの置かれた部屋で「おやじ(本田宗一郎)のためなら徹夜も辞さない」と語る場面がある。日本の企業では会社家族主義とでも言える考え方が濃厚にある。企業において、社長は親であり、社員は子になぞらえることはよくある。ある心理学者によると、日本の組織集団は、家(家族)を拡大した擬制家族社会の原理で成り立っていると言う。
 江戸時代の封建制における武士は、後継ぎがなければ養子を迎えて家を絶えさないようにした。現在でも、子供がなかったり、女の子ばかりのとき、婿養子を取って家を存続させることを考える。
 生け花、茶道、歌舞伎などの伝統芸能や宗教団体においてさえ、子孫が代々家を継ぐ家元制度が続いている。天皇制は国の規模にした家元制度と言える。ブラジルでは孤児を養子にして育てることはあっても、婿養子、家元制度という概念は存在しない。
 自分を指す言葉・相手を指す言葉のところで説明したごとく、親族内の対話に見られる自分を指す言葉・相手を指す言葉の使い方の原則は、ほとんどそのまま家族外の社会的状況においても見られる。日本人の対話は、対話の場において自分と相手の具体的な役割を明示し確認する機能を強く持っているということにおいて、例えそれが社会的状況であっても、本質的には親族間の対話形式の拡張と見なすことができる。
 近所付き合いにおいて自分の家のことを「うち(内、家)」、隣の家のことを「お宅」と言う。社会的状況においては自分の会社のことを「うちの会社」、ヨソの会社のことを「お宅の会社」と言う。会社を家にも似た日本的集団と見なし、自分をその一員と見なす。家と家の間に見られるウチ・ソトの概念が会社と会社の間にも、拡大した形で存在する。
 自分の属する集団内の者は身内で、それ以外の者は「ヨソ者」である。日本人がヨソ者と言うとき、なんと冷たい響きをもっていることか。ブラジルの企業間でも競争があるのは当然だが、ウチ・ソトと言うような概念は存在しない。また、アミーゴという個人と個人の繋がりによって形成される人間関係にもそのような概念は存在しない。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)

 

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