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日本文化の伝承を考える(15)=島国根性

2月28日(土)

 一九七〇年代の初めブラジルに着いたばかりの私は、モジアーナ線のサン・シモンで焼き物を始めるべく町外れにある古い一軒家を借た。そして裏庭に小さな薪窯を築いて、ブラジルでの焼き物の製作を始めた。
 その当時、二、三日に一回、徒歩で十分くらいの所にある町の中心まで干し肉や野菜を買いに行くのが常であった。この買い物に行く道筋に、ブラジルの奥地の町でごく普通に見かけるベランダのついた家があり、買い物に行く度に、家の前にあるそのベランダにいつも年金生活らしき老人が椅子に座っている光景に出くわすのだった。老人は、そこから見える風景を眺めているのか、あるいは、まれに見かける道を歩く人を眺めているのか、いつも椅子にじっと座っていた。この風景は、余り四季の区別の無い、夏はかなり暑いサン・パウロ州奥地の田舎にピッタリはまっていて、島国の日本に育った私にとって大陸を感じさせるものだった。
 日本はユーラシア大陸の端に位置する、主な四つの島から成る国で、文化が流れてたどり着き、留まるところであった。
 狭い国でこせこせしているとか、果ては、島国のなかの共同体で肩をすり寄せ、甘えあい、傷を舐めあっているとか、日本人の特徴をとらえて自嘲的に島国根性という。 
 ヒダの中まで分け入った心情的な繋がりによって、小集団内のまとまりを強め、ソトに対する閉鎖性を強める。日本的集団は外に開かれた集団とはなりにくい。
 かゆいところに手が届くサービス、繊細な神経、技術主義、美術においては細部にまで神経の行き届いた作品、茶室のような空間を創造する感覚。これらも島国根性と呼ばれる特徴に起因する。
 集団内の人間関係においては、相手の懐の中まで入っていく親密さが許容される。そこでは理屈では計り知れない情緒的な関係が存在する。相手の気持ちや希望を先取りすることが普通に行われる。そして、「以心伝心」「腹を割って話す」「言外の言」が可能となる。日本語では肉体に関する語彙が乏しいのに対して、心理内容を表す感情関係の語彙が非常に豊富である。
 外国人が日本人の人間関係、人付き合いを見て、どうしてあのよううに個人が無防備でいられるのか不思議に思うそうだ。
 文化に良い悪いがある訳ではない。どの文化にも時により長所として現れるところ、短所として現れるところもあるが全体として調和がとれている。現在は、キリスト教文化圏より興った文明が世界を覆いつつある。日本は少数派というより日本のような文化規範を持つのは日本だけである。世界の大勢が日本とは異なる文化になっている。
 日本の文化は誇りを持つに値する文化である。ブラジルの文化もそうであろう。
 日本の人間関係のあり方が世界に通用しないのは力関係によるのであって、日本文化を自嘲的に島国根性などと言う必要もなければ、日本文化が優れていると自慢することもない。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)
 

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