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日本の若者ブラジルで将来を模索(終)=佐々木弘文さん(27)=お寺、檀家ないのが理想=「来たい人が来ればよい」

4月2日(金)

 午前六時に寺に入り、六時半から七時半まで座禅を組む。八時半まで朝課(朝のおつとめ)でお経を詠む。朝食をとり、十二時まで資料作成や行事の打ち合わせなどの雑務。昼食後も雑務、午後七時から座禅、午後八時から講義、午後九時には帰宅する。休み無く日々の仏道に邁進する佐々木弘文(二七、青森県出身)の仕事は、曹洞宗南米別院仏心寺(三好晃一総監)の開教使。昨年十二月初旬に来伯。
 「祖父や父もお坊さん。何故か格好よくみえた。小さい頃からお坊さんになるんだろうな」と思っていた。総持寺(神奈川県)と並び、曹洞宗の本山とされる永平寺(福井県)。佐々木は、大学卒業後の四年間を同寺ですごした。
 修行僧の朝は早く午前三時に起床、前述したような座禅、掃除、雑務などをこなす。休日はもちろん無く、下山も許されない男ばかりの生活。テレビ、ラジオなどの娯楽は皆無、あるのは仏教関係の本のみ。数日遅れて手に入る新聞で世の中の動きを知った。「新聞の下にある雑誌の広告が楽しみだった」と笑う。
 半数は一年で同寺を去るが、佐々木は四年間ここで修行した。「修行の長さは関係ない」と言うが、百人入ってくる修行僧が年々半減していく中での修行、厳しさもうかがえる。年齢ではなく、先に入ったものが上。「年下のものが、年上を注意したり、殴ったりする事もあった」。永平寺を出た、佐々木は実家の青森県鰺ヶ沢市の寺に戻った。
 昨年の八月、北海道の葬式で同寺の三好総監と出会い、人柄に触れ「この人の下で修行したい」と思った。「たまたま、行った先がブラジルだった」のが来伯の理由だ。
 日本に古くから残る檀家制度を快く思っていない。「お寺には来たい人がきて、来たくなかったら来なくていいと思う。家に縛られる必要は全く無い」と言い切る。「仏心寺には、檀家が無い。ブラジルは来たい人が来て、来たく無い人は来ない」。ブラジルの姿に理想を重ねる。
 「ブラジル人は、日本と違って個人主義で先祖に対する意識が弱い。仏教の宗派を知らない人が多く、他宗派の方でも、葬式を頼んでくる人が多い」と、日本との様々な違いに驚く。一方で、世界の共通語の「禅」は非日系も関心を見せている。「座禅に来るのは非日系の人が多い」と明かす。
 「大きな違いはお坊さんお金ないでしょ」との考えが一般に強い事。昼食時にレストランで、お坊さんだと分かると、突然ご馳走してくれたこともあった。「お坊さんはお金持ち」との意識が強い日本との違いを強調する。「日本のお坊さんも苦しい生活をしている人が多い。ただ、一部のお金持ちのお坊さんが目立っているだけ」と言う。
 帰国後は、故郷鰺ヶ沢市の寺に戻る。「先のことは分からない。でも、修行は続く、一生修行」。(敬称略)  (佐伯祐二記者)

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