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裏千家ブラジル50周年=日本館も50周年、ともに祝う=今後の課題、ブラジル人への指導=林代表語る=理想「ポ語で直接」

5月25日(火)

 ブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)と茶道裏千家ブラジル・センター(林宗慶代表)は、「日本館五十周年とブラジル裏千家五十周年記念茶会」を二十日正午よりイビラプエラ公園内日本館で行なった。後援は在サンパウロ日本国総領事館。石田仁宏日本国総領事夫妻、渡辺博文化班領事、上原幸啓文協会長、吉井弘国際交流基金サンパウロ文化センター所長、ウィリアム・ウー・サンパウロ市会議員、ジョージ・ハト・サンパウロ市会議員ら約二百六十人が訪れ、裏千家ブラジル・センターの生徒が立てた茶を楽しんだ。

 五十年前、サンパウロ市市制四百年祭と共に建てられた日本館。その茶室で裏千家十五代家元が茶を立てたところから、裏千家ブラジル・センターの歴史が始まった。サンパウロ市が市制四百五十周年、日本館と同センターが五十周年を迎えた今年、記念すべきこの場所で盛大に茶会が開かれた。
 華やかな和服に身を包んだ同センターの生徒ら約四十人が立礼席、点心席、畳席の三席で招待客をもてなした。立礼席は椅子に座って薄茶を飲む席で、屋外に設けられたテントから鯉のぼりや庭園を見ながらお茶を味わう。点心席は赤飯、黒豆、焼鮭などの懐石料理。畳席(長板薄茶手前)は茶室に座って外を流れる水の音を聞きながら茶を味わう。お菓子の名前は「名残」秋から冬に向かうこの時期、残り少なくなったお茶への名残、じきに風炉に変わってしまう炉への名残の意味がこめられている。
 この日はサンパウロ州のほかロンドリーナ、クリチーバ、リオデジャネイロからも生徒が集まった。招待客のために手前を披露した生徒は「どきどきしましたが、今日は何とかうまくいきました」と安堵の表情を浮かべた。また、招待客は「結構な雰囲気で、おいしいお茶をいただきました。こうして時々日本的な雰囲気にひたれるのがいいです」と感想を述べた。
 日本館運営委員会委員長に就任した川合昭文協副会長も訪れ、「日本館はサンパウロ市の歴史的建造物であり、これからますます発展していく。年内に敷地を拡大し、緑地帯をさらに広げることが市のプログラムに組み込まれている」と話した。
 また、懐石を味わったイビラプエラ公園管理者のレニエル・マルコス・ロテルムンド氏は「大変おいしかった。(日本館は)とても人間的で自然とよく調和している。コロニアの皆さんにはこれからも文化を広めてほしい」と語った。
 武田宗芳さん(八九)は、五十年前ブラジルで裏千家が始まった時から今日までずっと裏千家を見守っている。十五代家元がブラジルで茶道を教え始め、生徒の中から武田さんをはじめとする七人の先生を作った。七人のうち健在なのは武田さんだけ。現在も週二回の教室に顔を出す熱心ぶりで生徒たちの信頼も厚い。「お茶が好き。しかし続けることは難しい。みんながよく続けていて感心する」と五十年を振り返る。
 林宗慶代表は「今までは日系人が多かった。これからはブラジル人にどうやって伝えていくかを考えなければ廃れていってしまう。死ぬまで修業という考え方はブラジル人には伝わりにくい。ブラジル人の考え方に合わせた指導法も考えなくてはならない。また、通訳を介さず直接教えることができる人も必要だ」と、これからの裏千家の在り方について語った。
 また、招待状や掛け軸など細かな所にも五十周年にちなんだ趣向が凝らされていた。「五十周年といえば金婚式にあたるので、招待状も飾りの稲穂や文字に金色を使って五十周年を表現しました」と説明するのは西村宗香さん。招待状のデザインなどの企画は彼女が担当した。「一華開五葉」と書かれた掛け軸も西村さんが準備したもの。「一華三葉が普通だけど、五十周年を迎えて裏千家がそれだけ盛大になったという意味で五葉としました」
 今回の招待客全員に、六月四日午後七時より行なわれる日本週間開会式と『道としての日本文化』出版記念会、いけばな協会花展合同展の招待状と同著の引換券が記念品として送られた。同センターの五十周年関連行事は今後も盛大に催されるようだ。

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