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第2次世界大戦=日系米兵2つの戦い(4)=「移民帰化法」改定へ=二世の息子ら流した血で

7月16日(金)

■7.この偉大な共和国がよって立つもののために■
 大勢が決したイタリア戦線から、日系部隊をフランス戦線に回せ、との要請があった時には、クラーク司令官はずいぶん渋ったという。第四四二連隊は九月三十日、マルセーユに上陸し、北上してドイツ国境近くのブリエアを解放したのが十月十八日、本編冒頭の光景である。この後、敵に囲まれて窮地に陥った別の大隊を、連隊の三分の二が死傷するという大損害を受けながら救出し、大統領殊勲感状を与えられた。ヨーロッパ戦線は翌一九四四年五月七日に終わったが、第四四二連隊は数々の個人勲章に加え、部隊として七つの大統領殊勲感状を受け、「アメリカ戦史を通して最も多数の勲章を授かった部隊」となった。
 一九四六年七月十五日、時の大統領ハリー・トルーマンはホワイト・ハウスの芝生で第四四二連隊を整列させ、居並ぶ陸軍長官や軍高官の前で七度目の大統領殊勲感状を自ら授与した。ニューヨーク・タイムズは「トルーマン、二世ヒーローに叙勲」との見出しで、それまでに帰還した数々の部隊で、大統領からじきじきの名誉を受けた唯一の部隊であると報じた。トルーマンはこの時、こう述べた。

 君たちは世界の自由諸国のために戦った。・・・君たちは今からそれぞれの家族のもとへと帰って行く。君たちは敵と戦ったばかりでなく、偏見と戦い、そして勝った。その戦いを続け、勝ち進んでくれたまえ。いかなる時代にも人民の福祉のため、と憲法でうたっているこの偉大な共和国がよって立つもののために。
 大統領の言葉通り、日系人たちは偏見との戦いを続けた。終戦から七年目の一九五二年、日本移民一世の市民権取得を阻んできた移民帰化法が改定された。中心になったのは第四四二連隊での戦歴を誇る二世指導者たちであった。老いた父母にアメリカ国民としての権利を勝ち取ったのは、二世の息子たちが流した血であった。
 ダニエル・イノウエは第四四二連隊で片腕を失ったヒーローとして、日系で最初の上院議員となり、かつての日系人の強制収容が繰り返されないよう緊急拘束撤廃法案を提出した。小隊長として負傷したスパーク・マツナガ中尉も、ハワイ州からのもう一人の上院議員となった。
 人種差別は「この偉大な共和国がよって立つもの」すなわち、アメリカの大義たる自由と人権に悖る恥部であったが、それをはね返したものこそ、日系兵たちの生命と誇りを賭した戦いぶりであった。(おわり)
   (文責:伊勢雅臣)※メールマガジン『国際派日本人養成講座』購読申込・既刊閲覧:http://come.to/jog

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