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「神風吹いた」「天皇家、日の丸、君が代」……=百周年講演で大和魂説く=小原彰氏に批判の声も

10月26日(火)

 ブラジル日本移民百周年記念祭典協会(上原幸啓理事長)主催の小原彰総務委員長(陸軍予備役少将)による講演会「百周年祭典の意義について」が、二十二日午後五時二十分から文協小講堂で行われた。二百人以上入る会場には六十余人のみで、関心の低さが伺われた。加えて、百周年とは直接関係のない説明が大半を占めたため、参加者から「期待はずれ」との批判も飛んだ。講演内容に関して、主催の協会側が適切な助言を怠った点にも問題がありそうだ。
 「――神風は二度吹いた」。小原総務委員長は熱く語った。「二度の蒙古襲来から守られたことで、神のご加護が証明された。第一代の神武天皇から始まり、百二十五代となる今上天皇への系譜。我々は全てパレンチ(親戚)であり、日本に生まれた父母・祖父母を通して一系に連なっている」と力説した。
 天皇即位十周年記念ビデオ『奉祝の灯』の一部などを上映。全員が起立して、君が代を斉唱した。天皇家、日の丸、君が代が日本の三大シンボルであるとし、その意義を説いた。「私たちはブラジルに生まれたが、このシンボルをどのように考え、どこへ向かったらいいのか?」と真摯に問うた。
 さらに、同委員長は、後醍醐天皇のために一命を投げ打ち、戦前は皇国最大の英雄と慕われた楠木正成の有名な言葉「七生報国(しちしょうほうこく)」を説明した。この精神は、昭和の日本軍に受け継がれ、第二次世界大戦のおりには神風特攻隊が編成された。
 加えて、パラグアイ戦争の時、パ国軍に囲まれながらも、民兵と共に最後まで勇敢に戦って散ったアントニオ・ジョアン中尉の「死ぬのは分かっている。でも私と仲間の血は、わが祖国への侵略に対する永遠の抗議となるだろう」という言葉を引用し、愛国心の重要さを訴えた。
 「我々は何処からきたのか。そのオリジンが分からなくなれば、Autenticidade(真正さ、純粋性)を失ってしまう」と説いた。
 ここまで一時間。その後、ようやく百周年の話題に移ったが、祭典協会定款の会目的を読み上げ、文協から日本国大使に送られた祭典への協力を要請する連絡文書、四つの記念事業名を挙げ、「これだけでなく、いろいろな行事がある」と強調した。
 「今はみんな、塀の上から見ているだけ。中には上から石を投げつける人もいる。でも、船が動き出してから飛び乗るのでなく、船が動くように押す人がまず必要。誰かが第一歩を踏み出さなくては」という現在の心境を吐露した。
 午後六時四十五分、講演は終わった。突然、ブラジル日系老人クラブ連合会の副会長、山本茂さんはステージに上り、マイクを手にし、「疑問点を明らかしてもらえると期待して来たが、かえって訳分からなくなった。失礼ですが期待外れでした。百周年しっかりしてください」と注文をつけた。居合わせた約十人から賛同の拍手がわいた。
 「言うだけ言って、勝手に帰るのは失礼だ」との文協役員の呼びかけに再び山本さんはステージに登壇。「記念事業の説明があると思ったのに、私たちが学校で習ったような歴史の話ばかり。私も百周年には期待しているが、今は壁の上から見ているより仕方ない。私には学歴はありませんが、大和魂は誰にも負けません。百周年、しっかりしてください」と再度、叱咤激励した。
 小原総務委員長は、〇一年に皇居清掃奉仕団に団長として参加した経験があり、〇三年三月のブラジル日本会議主催の講演会でも、「日本人の子孫であることを強く自覚。国というものの在り方、日本の皇室の始まり、日本の伝統文化に深い関心がある」と語っており、このような話題が中心になることは十分予想できた。
 川合昭企画委員らに事前に内容を語り、当日の通訳も依頼しているが、適切な助言がされなかった。「ゼネラウは不言実行の人で、今の協会には貴重な存在。こんなことでイメージを落とすのはもったいない。どうして協会は、内容をチェックしなかったのか」と、講演会の後味の悪さを残念がる声が会場のあちこちで聞かれた。

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