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中林次男さんの遺句集=『俳句の試み』日ポ語対訳で

10月30日(土)

 『俳句の試み―遺句集』(ポ語で「エンサイオ・デ・ハイカイ」)が、このほど、パウロス出版社から発行された。元日伯毎日新聞社工場長、将棋元ブラジル名人の中林次男さん(八八年死去)の遺句集である。八五年頃から作句を始めていた。九五年、次男さんの次女レダ・レイコ・ナカバヤシ・シマブクロさんが、四百九十四句が記されているノートを、歌人で翻訳家の八巻培夫さん(元日伯毎日新聞社編集長)のところに持ち込み、「ポ語に翻訳してもらえないものか」と依頼した。それから九年、八巻さんがすべてを翻訳、文字入力者、校正者らの協力によって、本は完成した。
 『俳句の試み』は、遺句集、「中林家の人びと」(弟の昌夫さんが執筆)、追悼集(山根剛さんらの文)、思い出(家族が執筆)などから成っている。昌夫さん、レダさんはじめ、家族の愛惜の情が満ちあふれている本だ。次男さんの子孫たちに残す貴重な「資料」でもある。
 翻訳者の八巻さんと昌夫さんは、翻訳とその表記に際し工夫をこらした。「俳句(作品)、日本語の読み方をローマ字で、そしてポ語訳」としている。新しい試みといえよう。三百句収録した。
 八巻さんは「はしがき」で「次男さんの隠されていた才能に感嘆を久しくさせられた」「(作品を読んでいると)短詩型の奏でる快い旋律が聴こえて来るような気がしてならない」と書いた。
 【中林次男さん略歴】一八年茨城県岩間町に生まれる。三二年土浦中学二年中退、三三年家族で渡航、カフェランジアで就労、四八年将棋ブラジル名人就位、以後十二年間保持、四九年日伯毎日新聞創刊参加、工場長、のち編集部員、四十年間勤務、八五年つくばね句会入会、八八年死去。

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