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Av・ド・エスタードの広場から――=〃消えてしまった〃平野運平胸像=道路整備工事のあおり=市長も代わって=今年植民地は90周年

1月28日(金)

 通訳五人の男の一人、平野運平氏の功績を称え、同氏の名を冠した広場がアベニーダ・ド・エスタード沿いに造成されている。セルソ・ピッタ元市長が打ち出したバス専用道路の建設構想の中で、広場が資材置き場になり、胸像も撤去された。建設工事はマルタ市長時代に中断。さらに、市政はジョゼ・セーラ市長に移り、胸像の保管場所が分からなくなってしまった。広場はセルカ(柵)で囲まれた上、入り口は施鍵されているため内部には入れない。そのため手入は出来ず、三十本ほどあった桜もほとんどが枯死した。第一平野植民地の入植九十周年を七月末に控え、無残な姿をさらしている。
 広場が公園のように整備されたのは、約四十年前。その時に、胸像も設置された。「上塚周平氏のように、平野氏の業績も後世に伝えようと、市から場所を提供してもらった」と山下ジョージさん(第一平野植民地文協会長)は語る。
 ただ、日系人が余り通らない場所なので、胸像がその後リベルダーデ広場近くのカルロス・ゴメス街に移された。しかし、プラッカを盗まれるなどの被害にあい、再度広場に戻された。
 母県の英雄を称えたいと言って、静岡県人会(鈴木静馬会長)も植民地に協力。年に一~二回、園内の除草や掃除をするなどしてきた。さらに、通行人が憩う場にしようと、四、五年前に桜を三十本植樹した。
 バス専用道路は高架式でちょうど、広場の上に停留所がつくられる見通し。地上とは、螺旋上の通路で結ぶ。市は四年ほど前に、建設工事に着手した。広場を資材置き場に活用し、外部から立ち入れないようセルカで遮断。工事に差し障りがあるとして、胸像を撤去した。
 工事は財政難などのために、途中でストップ。放置される形になった。桜はほぼ全滅し、そのほかの樹木も剪定はされていないようだ。鈴木幸男静岡県人会事務局長は「鍵がかかっていて中には入れないし、今はもう掃除にも行っていないんです」と声を落す。
 荒廃した広場を見兼ねて、静岡県人会は約二年前にコロニア側に相談。胸像の保管場所の調査を申し入れた。「顧問弁護士を通じて、解決したい」(鈴木事務局長)と言う回答だったので、県人会は静観する立場をとってきた。
 山下さんによると、コロニアと県人会の顧問弁護士が話し合いを続けたが、その後、連絡を取り合わなくなってしまったという。
 平野植民地は、今年七月末に入植九十周年の記念式典を予定。広場の現状を見過ごすわけにはいかなくなった。県人会も一カ月ほど前に、胸像の件について、郵便で問い合わせした。
 山下さんは「近々サンパウロに行くつもり。その時に静岡県人会の方に協力を求め、市議を通じて胸像の行方を捜したい」と話している。

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