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不滅の功績=語り継ぎたい=野村丈吾元下議死去=「心に穴空いた」「お世話になった」=州議会に弔問客の列

5月21日(土)

 半世紀に渡ってコロニアや日伯交流に尽力した野村丈吾元連邦下議を弔おうと二十日朝から、サンパウロ州議会には弔問客が列を作った。子息の野村アウレリオ市議、マリア・ド・カウモ・ノブコ夫人、妹の小田品子さんら家族が訪問客の応対にあたった。日系人の結婚式や運動会での挨拶をこまめに務め、日本の有名政治家に多くの親交を持ち、連邦議会の外交委員長を務めるなど、多彩な活動と幅広い人脈を持っていた野村氏。有名、無名を問わず、引きもきらず押し寄せる弔問客の多さに、遺徳が偲ばれた。
 ノブコ夫人は、目を真っ赤にして旧友一人一人と抱擁し語り合っていた。「みんな仲良く百年祭に向かって協力していくことを、主人は最後まで期待していました。日本とブラジルのために手を合わせてほしいと」と故人の遺志を代弁した。
 「これでまた、さびしくなりました。心に穴の空いたようなこの気持ちは、言葉で言い表せない」。午前十時半ごろ、安部順二モジ市長も姿を現し、田村幸重、平田進、森本アントニオら古株下院議員が引退したり、亡くなったりした二十~三十年前以来、唯一、野村氏のみがずっと議席を確保し続けた功績を振り返った。
 加えて、「野村さんは、戦後の日本人への風当たりの厳しい時代から政治家として尽力してきた恩人だ。日系人は四世、五世の時代になってきているが、日本人の顔をしている限り、野村さんの功績やコロニアの歴史は、時代を超えて語り継がれなかればならない」と述べ、後輩政治家として姿勢を正した。
 赤間学院の赤間アントニオ晃平さんは「うちの評議員として何十年も重要な役割を果たしてくれた。本当にありがたい。今月二日も、教育施設を視察にきた三重県の市議会議員を案内して、学校にきてくれた。『美味しい、美味しい』と大好きなフェジョンを食堂で食べていました。まさかそのすぐ後に入院するなんて」という。
 憩の園の左近寿一会長は、「心からお疲れ様といいたい。ドナ・マルガリーダの時代からいろいろなことでお世話になった。本当にありがとうございました」との謝辞を遺族の送った。
 四月二十六日に小林パウロ下議が肺ガンでなくなったばかり。ニッケイパラセ・ホテルの西田康二顧問も「百周年を前に、また一人リーダーを失った。日系社会にとって大きな損失だ。野村氏は連邦議会の外交委員を長く務め、ずいぶんとブラジル社会にも貢献した」と肩を落とした。
 下議自身が会員となって頻繁に顔を出したサウーデ文協からは婦人部が十数人訪れた。金盛巴婦人部長は「先日のお茶会にも来て挨拶してくれた。会館に強い愛着を持って、支援してくれていました。是非、アウレリオさんにもその遺志を引き継いでほしい」と故人を偲んだ。
 二〇〇二年十一月の本紙連載『日系ゼロ サンパウロ州下議・州議選を振り返る』で野村元下議は、「非日系の議員でも親日家であれば、その使命として、取り組める課題ではないか」との質問に答え、「いや、両国に文化の根をもつ日系議員の方が理解できると思う。その意味では日系人だろう」と反駁。日系人としての強い矜持を最後まで持ち続け、日伯のために尽くした政治家だった。
 午後三時過ぎからヴィラ・アウピーナ火葬場で、多くの旧友や知人に見送られながら葬儀が行われた。

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