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収穫十分にあった=「ふれあい日本の旅」=初回日語セ、手応え

2005年8月6日(土)

 ブラジル日本語センターは六月三十日から七月二十二日にかけて、日下野良武さんを団長、志村宗マルガレッチ日伯のびる学園園長を副団長とする第一回「ふれあい日本の旅」親善使節団計四十二名を派遣した。「日本とブラジルをつなぐ人材を育成したい」という目的で、同センター創立二十周年を記念して企画された。
 「大学に行くと皆、だんだん日本語を勉強しなくなる」と、憂慮する日下野さん。「大学に行くまでは、一生懸命に日本語を勉強したのに止めてしまう。何のためにやってきたかわからない、と言われたら、かなわない。もっと我々が考えてあげないといけないと思った」。そこで、最も「日本語離れ」が起きる十二歳から十八歳の子どもたちを日本へ派遣することで刺激を与え、再度日本語に対する意欲を湧かすことを目的に三年程前から同案を計画していた。
 研修内容は愛知万博を中心に、京都観光、広島原爆ドーム見学など行った。中でも「ものすごいカルチャーショックだった」と話していたという名古屋でのホームステイでは、それぞれさまざまなことを感じたようだ。「日本のお母さんは、お父さんが夜遅く帰ってきても文句を言わない」「靴を脱いで家に入る」ことに驚いていたそう。「おいしい御飯を作ってくれたり、毎日よく面倒をみてくれて皆、ホームステイ先の家族と別れるとき泣いてました」と志村副団長は話す。
 明治村のブラジル館では、団員の栗森哲男クレベルさん(16)と橘秀男リカルドさん(16)の祖父の鍬や縦笛などの遺品が展示されていたそう。「デパートでは特に女の子がはしゃいでました。日本の物すべて珍しいみたい」と言う志村副団長。代々木アニメ学院訪問では、「校長先生が素晴らしい方で、アニメに出てくるキャラクターの格好をして記念撮影するなど、子どもたちは凄く喜んだ」と笑う。
 十八日には宮様表敬、皇居、明治神宮訪問を行った。「皆、やっぱり随分緊張してた。でも最初は三十分の予定だったけど、一時間半もお話してくださった。秋篠宮紀子様は来伯したことないけど、『今回のことでブラジルを知るいい機会になった』と言ってくださった」と日下野団長は喜びを表す。
 「将来、この研修のことを思い出して、今すぐではなくても何らかの形でこの経験が活きてくれればいいと思う。若い人を育てたい。今回のことで見えた反省点を踏まえて次回はもっといい企画にするために検討していきたい」と抱負を語った。志村副団長も「皆日本のことが大好きになった。留学したいという子も出てきた」と手応えを感じていた。

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