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「棄民」として来年で50年=ドミニカ移民訴訟結審=国策だったかが争点=国側「斡旋しただけ」「時効」

2005年10月19日(水)

 【東京支社】五〇年代にカリブ海のドミニカ共和国に移住した百七十七人が国を相手に三十一億八千四百万円の損害賠償を求めているドミニカ訴訟。五年余りに及んだ裁判は十七日に東京地裁で開かれた口頭弁論を最後に結審した。約百席の傍聴席はドミニカや日本国内の原告、支援者、記者団で埋まった。最終意見陳述で原告団の嶽釜徹(67)さんは「国側は時効を主張しているが、消えてしまったのは政府の良心と罪の意識。入植以来四十九年間に受けた移住者の苦しみや心の傷に時効はありません」と述べた。判決期日について、金井康雄裁判長は「追って指定する」と述べるに留まった。
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 七百万人もの引揚者や失業者で溢れかえっていた戦後日本。人口削減を喫緊の問題として国が移民政策を積極的に推し進めた。その一つにドミニカ移住があった。
 国が提示した条件は「肥沃で広大な農地の無料譲渡」。全国から応募した二百五十家族千三百人うち、鹿児島県出身者が二百八十人と全体の二割を占めた。
 カリブ海の楽園――。ブラジルなど他国への移住に比べ、好条件の募集内容に渡航前の移住者たちは夢を膨らませた。
 しかし、与えられた土地は政府が約束した十八ヘクタールに遠く及ばず、所有権も認められなかった。しかも、岩や石だらけの不毛の土地や塩で覆われた一面の砂漠。耕作不適地なうえ、水不足も追い討ちをかけた。千三百人の夢と希望は一瞬にして打ち砕かれ、数年後には半数以上が集団帰国か南米移住の形で〃約束の地〃を去った。
 政府の崩壊で日系コロニアは略奪の対象ともなった。移住者のなかには自殺する人も少なくなかったという。
 原告側は「国はドミニカの農業の状況や住環境などの調査義務を怠った」と主張、〇〇年に国を相手取り提訴。国側は「斡旋しただけで、募集要項の条件が満たされなかったのは、ドミニカ政府の問題。国の責任を問われるにしても時効が成立している」と真っ向から反論、平行線をたどった五年の間に十五人の原告が亡くなっている。
 嶽釜さんは「来る二〇〇六年七月は、ドミニカ入植五十周年にあたります。われわれ移住者たちはこれを『棄民五十周年』として迎えなければならないのでしょうか。それとも、晴れて国策移住者として尊厳を取り戻し、心から『移住五十周年』を祝うことが出来るのでしょうか」と問いかけた。
 閉廷後の記者会見でドミニカ移民懇談会の尾辻秀久会長(自民党、厚生労働大臣)は「今日、結審の時を迎えることが出来、私も感無量の思いで傍聴席に座っておりました。嶽釜さんの最後の意見陳述を聞かせていただき思わず涙がこみあげました。あとは裁判長を信じて判決を待ちたいと思います」と語った。
 昨年三月、小泉純一郎首相は国会答弁で「外務省に反省すべき点はある。不手際を認め、移住者に対し、しかるべき対応を考えたい」と発言しているが、外務省は「首相発言は法的なものではなく、和解の意思はない」との見解を示している。
 裁判の最大の争点はドミニカへの移民が〃国策〃かどうか。移民政策そのものの是非を問う判決結果は今後、移民を原告とした裁判の判例になると見られる。

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